埤雅の研究>釈草篇(4)

【蕙】

  蕙は香草なり。或は是を薫と謂ふ。『左伝』に曰ふ所謂「一薫一蕕」(1)なる者是れなり。凡そ気薫ずれば則ち恵和 し、暴すれば則ち酷烈なり。故に文に於いて恵艸を蕙と為す。『詩』に曰く、「南風の薫ずる、以て吾が民の愠を解くべし」(2)と。 薫は恵和なり。故に以て 民の愠を解くべし。『荘子』に曰く、「薫然として慈仁なる、之を君子と謂ふ」(3)と。蓋し諸を此に取る。今、恵は亦た蕙に通ず。 楊雄(ⅰ)曰く、「恵圃 を蹂みて蘭唐を踐む」(4)とは是れなり。『伝』に曰く、「天子は鬯、諸侯は薫、大夫は蘭芝、士は蕭、庶人は艾。大夫、蘭芝を併せ て言ふ者は、上大夫は 蘭、下大夫は芝なり」(5)と。蓋し凡そ摯は、諸侯は圭、大夫は羔鴈、士は雉、庶人は鶩。此れ生者を見るの摯を言ふなり。天子は鬯 を以てし、諸侯は薫、大 夫は蘭芝、士は蕭、庶人は艾。此れ死者を見るの摯なり。『礼』に曰く、「凡そ摯は、天子は鬯、諸侯は圭、卿は羔、大夫は鴈、士は雉、庶人は匹」(6)と。 此れ相備ふるなり。天子は鬯と言ひて諸侯より下るは、生者を見るの摯を言ふ。蓋し言の法なり。先儒以為へらく、諸侯は薫とは未だ圭瓚の賜を得ざるを謂ふ。 此を以て酒を和さば則ち王制に於いて鬯を資するの説、害なふ。且つ此の諸草の類、皆焼きて以て神を降すと爾云ふ。蓋し煮て以て酒に和するに非ず。故に『博 雅』に曰く、「天子の祭は鬯を以てし、諸侯(ⅱ)は薫を以てす」(7)と。而るに漢の隠君子以為へらく、薫 は香を以て自ら焼き、膏は明を以て自ら銷するな り、と。香草の類、大率多く名を異にす。所謂蘭蓀の蓀は今の菖蒲是れなり。蕙は今の零陵香是れなり。茝は今の白芷是れなり。芸は今の七里香是れなり。葉は 豌豆に類し、小叢生を作し、其の花極めて芬香にして、秋に則ち葉間微白なること粉汙の如し。蠹を辟くに殊に験あり。

[校記]

(ⅰ)五雅本、揚雄に作る。(ⅱ)五雅本、諸矦に作る。

[注釈]

(1)    『春秋左氏伝』僖公・四年。
(2)    今本『詩経』には見えず。『礼記注疏』楽記の正義が引く「舜弾五弦之琴其辞」に、「南風之薫兮、可以解吾民之愠兮。南風之時兮、可以解阜吾民 之財兮」とある。
(3)    『荘子』雑篇・天下。
(4)    揚雄は前漢の人。
(5)    注釈(7)参照。
(6)    『礼記』曲礼下。
(7)    『広雅』釈天に「天子祭以鬯、諸矦以薫、卿大夫以茝蘭、士以蕭、庶人艾」とあり、王念孫は「此逸礼」という(『広雅疏証』)。

[考察]

 ほとんどの漢字辞典で蕙を「カオリグサ」と訓じている。このように固有の和名が無いことから、もともと日本にはない植物であると推察される

 陸佃は「蕙」と「薫」と「零陵香」は同じものであるという。「零陵香」については『中薬志』『中薬大辞典』ともサクラソウ科の Lysimachia foerum-graecumを当ててい る。『中国高等植物図鑑』によると、この植物の漢名は「霊香草」である。

 一方、牧野富太郎氏は「蕙」をシソ科のOcimum sanctumに当てる(『植物一日一題』所収「蕙蘭と書く蕙とはなんだ」)。また松村任三氏は「薫草」に同属植物のO. bacilicumを当てている(『改訂植物名彙』)。松村氏は『植物名実図考』などを典拠としており、『植物名実図考』の図は確かに Ocimum属植物 と似通う。

 以上より「蕙」の同定はL. foerum-graecumと Ocimum属の植物の二説に大別されることがわかる。(野口)

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