埤雅の研究>釈草篇(3)
【藍】
『爾雅』に曰く、「葴は馬藍」(1)と。染草なり。即ち今の大葉冬藍の澱を為す者、是れなり。『月令』に、「仲夏に
民をして艾藍以て染むること無からしむ」(2)と。鄭氏云ふ、「長気を傷るが為なり」(3)と。然らば則ち
艾藍は夏に於いてするは、先王の法、焉を禁ず。
字を制すること監に从ふは此を以ての故なり。是れ由り之を観れば、先賢の云ふ所、冰(ⅰ)を蔵するは雹無き所以。而して原蠶、其の
馬を害するを悪むは、豈
に虚言ならんや。『齊民要術』に以為へらく、「藍を種うるは一に葵の法に同じ。藍は三葉(ⅱ)、之を澆ぎ、薅りて治めて浄ならし
む。五月中新雨の後、即ち
之を拔栽す」(4)と。故に『夏小正』に、「五月蘭を蓄ふ。藍蓼を灌沐す」(5)。灌は澆灌なり。沐は剥沐
なり。『詩』に曰く、「終朝緑を采る。一匊に盈
たず」「終朝、藍を采る。一襜に盈たず」(6)と。藍緑は得易きの物なり。今、憂思を以て之を貳にす。故に終朝、采掇すると雖も、
緑、一匊に盈たず、藍、
一襜に盈たざるなり。藍は緑より大なり。又た其の畦、植うること鱗の如し。則ち其の之を采りて襜に盈たすは易し。故に『詩』に以て後るると為す。緑は以て
黄に染むべし。藍は以て青に染むべし。則ち皆、婦人、飾(ⅲ)を致すの物なり。故に『詩』、正に之を言ふ。『荀子』に曰く、「青は
藍より出でて藍より青
し。冰は水之を為して水より寒し」(7)と。説者以為へらく、冰藍は皆学に喩ふ。則ち才、其の本性を過ぐ。学、以て已むべからざる
を明らかにするなり。
『漢記』に曰く、「素絲の質を以て朱藍に附近せんと欲す」(8)と。蓋し亦た士に就くの益多きを明らかにす。脈要精微論に曰く、
「赤は白の朱を裹むが如き
を欲す、赫の如きを欲せず。青は蒼璧の澤の如きを欲す、藍の如きを欲せず」(9)と。『齊民要術』に曰く、「蓼中の蟲、豈に藍の甘
きを知らんや」(10)
と。人の一方に域する、何をか以て此に異ならんや。故に河伯、北海若に謂ひて曰く、「吾、子の門に至るに非ざれば則ち殆し。吾、長く大方の家に笑はるるの
み」(11)とは是なり。
[校記]
(ⅰ)五雅本、氷に作る。
(ⅱ)五雅本、二に作る。今本『齊民要術』、三に作る。
(ⅲ)五雅本、飭に作る。
[注釈]
(1)
『爾雅』釈草には「蔵寒漿」とある。『説文解字』一篇下・艸部に「葴馬藍」とあるので、『説文解字』の引用であろう。
(2) 『礼記』月令。原文では「無」の字を「毋」に作る。
(3) 『礼記注疏』月令。
(4) 『齊民要術』種藍第五十三。
(5) 『礼記注疏』月令。
(6) 『詩経』小雅・魚藻之什・采緑の第一、二スタンザ。
(7) 『荀子』勤学篇。今本『荀子』には「青取之於藍…」とある。
(8) 今本『東漢漢記』には見えない。
(9) 『黄帝内経素問』脈要精微論篇第十七。今本『素問』では「赫」を「赭」に作る。
(10) 『齊民要術』齊民要術序。この文は現存していない『仲長子昌言』からの引用文である。
(11) 『荘子』秋水。
[考察]
藍はタデ科のアイ(蓼藍Polygonum
tintorium)に同定される。染料であるインジゴIndigoをとる植物はアイだけでなく、リュウキュウアイ(キツネノマゴ科)やイ
ンドキアイ(マ
メ科)などいくつかあるから、アイを特にタデアイと呼ぶこともある。
アイの色素インジゴチンは他の物質と化合しており、遊離させるためには発酵を必要とするため、適度な温度や湿度の条件が必要となる。『世界有用植
物事典』によると日本では藍建ては夏期の作業であり、『礼記』月令の記述とは相違する。日本と中国の気候の差によるものであろうか。
アイは日本に野生する植物でなく、中国から渡来したもので、原産地はベトナム南部といわれている。日本へ入ったのは、大宝律令の賦役令に見られる
点から七世紀以前であることは明らかで、国産植物染料に青系統がなかったことから、栽培は急速度に普及したらしい(『朝日百科 世界の植物』
p1833)。「又た其の畦、植うること鱗の如し」とあるが、現在ではインジゴは改良ホイマン法により工業的に合成されており、染料用の目的でアイを栽培
することは少なくなってきている(『岩波 理化学辞典 第四版』)。(野口)