埤雅の研究>釈草篇(3)

【葵】

 
  『齊民要術』に曰く、「今世、葵に紫茎と白茎の二種有り。春必ず畦に種え水を澆ぐ。而して冬種うる者は、雪有り、風に従ひて飛び去らしむ勿れ。毎雪輒ち一 たび之を労す。雪を労するは、地をして澤を保たしむ。葉は又た蟲ばまず。掐するに必ず露の解くるを待つ。収むるに必ず霜の降るを待つ。傷つくこと晩ければ 則ち黄爛し、傷つくこと早くば則ち黒澁するなり」(1)と。『詩』に曰く、「七月に葵及び菽を烹る」(2)と は即ち此れ是なり。 『左伝』に曰く、「鮑荘子の知、葵に及ばず。葵、猶ほ能く其の足を衛る」(3)と。今、葵心、日光の転ずる所に随ひ、輒ち低く其の 根を覆ふは、知に似た り。孔子曰く、「禾生じて穂を垂れ、根に向かふは、本を忘れざるなり」(4)と。蓋し禾の根に向かふは仁なり。葵の足を衛るは知な り。仁は以て之を衛る 所、知は以て之を揆る所、故に葵は揆なり。『字説』に曰く、「草なり。能く日の嚮ふを揆る。故に又た揆と訓ず」(5)と。『本草』 に曰く、葵は「百菜の主 と為す」(6)、と。豈に亦た此を以てせんか。『爾雅』に曰く、「{艸+終}葵は蘩露」(7)と。{艸+ 終}葵、一名蘩露。此れ又た葵の一種なり。蔓生 し、葉円くして厚し。故に『周官』に曰く、「大圭長さ三尺、杼上は終葵首」(8)と。義、諸を此に取るなり。『説文』に云ふ、 「齊、之を終葵と謂ふ」 (9)と。終葵は杼上に於いて、其の首を円広にするを謂ふ。説者以為へらく、即ち珽は是なり。按ずるに『礼』に曰く、「天子、珽を 搢むは天下を方正にす」 (10)と。蓋し大圭終葵首とは全く異なる。『相玉(i)書』(11)に曰く、「珽 玉六寸。明、自ら炤る」と。今、大圭長さ三尺。珽に非ざるを知る。『周 官』に曰く、「王、大圭を搢み、鎮圭を執る」(12)と。又曰く、「冒四寸を執りて、以て諸侯を朝す」(13)と。 蓋し王、鎮圭を執れば、則ち大圭を搢 む。天子、冒を執れば、則ち珽を搢む。故に鎮圭は尺有二寸。大圭の長さは三尺。冒圭は四寸。珽は六寸なり。大圭は円にして仁。故に鎮に於(ⅱ)い て之を搢 む。鎮の義の故なり。珽は方に義を以てす。故に冒に於いて之を搢む。仁を冒す故なり。

[校記]

(i)五雅本、玉の字を王に作る。(ⅱ)五雅本、於の字を謂に作る。

[注釈]

(1)    陸佃による『齊民要術』種葵第十七の摘要である。
(2)    『詩経』国風・豳風・七月の第六スタンザ。
(3)    『春秋左氏伝』成公。
(4)    未詳。『論語』には見えない。
(5)    『字説』宋・王安石の著。すでに散逸して伝わらない。
(6)    『重修政和経史証類備用本草』の引く『名医別録』に「葉為百菜主」とある。
(7)    『爾雅』釈草。
(8)    『周礼』玉人。
(9)    今本『説文解字』には見えない。
(10) 『礼記』玉藻。
(11) 『相玉書』未詳。
(12) 『周礼』春官宗伯・典瑞。
(13) 『周礼』冬官考工記・玉人。

[考察]

 葵はフユアオイ(冬葵、野葵 Malva verticillata)に同定される。二年生の草本で高さは六〇~九〇センチメートル、葉は腎形から円形で掌状、五~七深列である。現 在の日本では人 家にゼニアオイ(M. sylvestris L. var. mauritiana Mill.)が観賞用に植えられているが、フユアオイは花が小さく観賞用には適さないため植えられることはない。薬用植物園や、日本の海岸に野生化したフ ユアオイがまれにある程度である。

 本草書には「百菜の主と為す」とあり上品に分類され、『証類本草』では菜部に置かれるが、明・李時珍は「古者葵為五菜之主、今不復食之。故移入 此」といい、『本草綱目』では草類に分類した。しかし、清・呉其濬撰『植物名実図考』の記述によると、まだ葵を食用とする習慣は残っていたようで「以一人 所未知而曰今人皆不知、以一人所未食而今人皆不食、抑何果於自信耶」というほどである。現代でも『中国高等植物図鑑』に「嫩苗可作蔬菜」とあり、食用とす ることがわかる。『植物名実図考』によるとフユアオイの葉の味は藿(マメの葉)に似ているという。

 植物が光の方向へ向かう屈性を向日性という。向日性の植物は非常に多いが、フユアオイに関する研究論文は見つけることができなかった。

 日本では葵の字は、フタバアオイ(カモアオイ Asarum caulescens)などのウマノスズクサ科の植物にも当てられている。この由来について狩谷棭齋は、「其の葉、葵の葉に似、故に古人誤 りて葵を以て阿 布比に充つ。『新撰字鏡』の訓ずる所、是れに当たる」という(『箋注倭名類聚抄』)。フタバアオイは京都の加茂神社で五月に行われる「あおい祭」で用いら れるため、カモアオイともいう。徳川家の家紋がフタバアオイを三葉にしたものであるのは加茂神社信仰による(牧野富太郎『「南葵」とは本字当て字の組合 セ』「植物研究雑誌六巻七号」)。(野口)


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