埤雅の研究>釈草篇(3)

【荼】


 荼は苦菜なり。苦菜は寒秋に生じ、冬を経て、春を歴る。夏に至りて乃ち秀づ。月令に、「孟夏に苦菜秀づ」(1)と。即ち此れ是な り。此の草、冬を凌ぎて凋(ⅰ)まず。故に一名游冬。凡そ此れ則ち四時を以て名を制するなり。『顔氏家訓』に曰く、「荼葉は苦苣に 似て細し。之を断てば白 汁有り。花は黄にして菊に似たり」(2)と。『詩』に曰く、「其の東門を出づれば、女有りて雲の如し」、「其の闉闍を出づれば、女 有りて荼の如し」(3) と。雲は蓋し盛んなるを言ひ、荼は蓋し繁なるを言ふなり。『伝』に曰く、「秦網は秋荼より密なり」(4)と。『詩』に曰く、「菫 (ⅱ)荼は飴の如し」 (5)と。菫(ⅱ)は毒、荼は苦。故に飴の如しと言ふ。以て風土の善なるを著(ⅲ)す。 『国語』に曰く、「鴆を酒に寘く。菫(ⅱ)を肉に寘く」(6)と。 『詩』に曰く、「誰が謂はん、荼は苦しと。其の甘きこと薺の如し」(7)と。蓋し其の事、又た苦なるを言ふなり。『礼』に曰く、 「昬姻の礼廃るれば則ち夫 婦の道苦にして、淫辟の罪多し」(8)と。其れ此の謂ひか。

[校記]

(ⅰ)四庫全書本、彫に作る。五雅本に従う。 (ⅱ)四庫全書本、堇に作る。五雅本に従う。(ⅲ)五雅本、箸に作る。

[注釈]

(1)    『礼記』月令。
(2)    『顔氏家訓』書證第十七。
(3)    『詩経』國風・鄭風・出其東門の第一、二スタンザ。
(4)    『旧唐書』志・刑法に「是以秦氏網密秋荼」とある。
(5)    『詩経』大雅・文王之什・緜の第三スタンザ。
(6)    『国語』晉語二。
(7)    『詩経』邶風・谷風の第二スタンザ。
(8)    『礼記』経解。

[考察]

 『詩経植物図鑑』では、『詩経』の荼は①「幽風・七月」では苦菜(ノゲシ Sonchus oleraceus)、②「周頌・良耜」では陸生植物、③「鄭風・出其東門」や「豳風・鴟鴞」では蘆葦(ヨシのなかま)や白茅(チガヤ)の花序の三種類に 分類している。これは宋・厳粲撰『詩緝』などに見られる解釈である。

 『埤雅』では『顔氏家訓』の記述を荼の特徴として引いているが、これはキク科タンポポ亜科の特徴と一致する。タンポポ亜科の植物は連合乳管が発達 し、植物体を折ると乳液が出る。またキク科植物は集合花があたかも一つの花のように見える「集合花」を形成する。『埤雅』では『詩経』中の荼は全てノゲシ などのタンポポ亜科の植物とし、チガヤの花序などとは解釈していない。

 『本草綱目』では貝母や敗醤(オミナエシ)、龍葵の別名として苦菜を挙げている。敗醤、苦菜の名は科を越えて名前が混乱しているため、『中華人民 共和国薬典』では、キク科植物によるものを北敗醤としてオミナエシ科のものと区別した。『新編中薬志』北敗醤の項には、「因為北方地区民間常把苣蕒菜等多 種菊科植物称作“苦菜”」とあり、多種のキク科植物を「苦菜」と呼んでいたことがわかる。以下、苦菜や敗醤草と呼ばれるキク科植物群の可能性を表に示す (『新編中薬志』より)。 

また荼がチガヤやヨシの類を指すということについては水上静夫著『中国古代植物学の研究』(角川書店)で詳しい考証が為されている。水上氏によれ ば、荼には家屋建築資材の草の意味があるということである。

 荼は『埤雅』のように一種の植物に同定できるものでは無いようで、広義には表に挙げたタンポポ亜科の植物とオミナエシの仲間、陸生植物、チガヤ・ ヨシなどを指していると考えられる。(野口)

和名
漢名
学名
ハチジョウナ
苣蕒菜
Sonchus arvensis
ノゲシ
苦苣菜
S. oleraceus

乳苣
Mulgedium tataricum
タカサゴソウの母種
中華小苦蕒
Ixeridium chinensis

抱茎小苦蕒
I. sonchifolium


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