埤雅の研究>釈草篇(3)

【菡萏】

 『爾雅』に曰く、「其の華は菡萏、其の実は蓮」(1)と。蓋し荂を芙蓉と曰ひ、秀を菡萏と曰ひ、暢茂を華と曰ふ。『古今註』に曰 く、「芙蓉、一名荷華。華の最も秀異なる者なり。大なる者は華、百葉に至る」(2)と。然らば則ち華は亦た之を芙蓉と謂ふ。『楚 辞』の所謂「芙蓉を木末に 搴ぐ」(3)とは、蓋し此を言ふなり。凡そ物は皆、華を先にし実を後にす。独り此れ華果齊しく生ず。故に西域の書、多く此を言ふ。 『詩』に曰く、「蒲と荷 有り」「蒲と蕑有り」「蒲と菡萏有り」(4)と。荷は其の質の柔なるを言ふ。蕑は其の気の芳なるを言ふ。菡萏は其の色の美なるを言 ふ。『拾遺記』に曰く、 「昆流素蓮、一房百子、冬を凌ぎて茂る」(5)と。王文公(6)曰く、蓮華は色有り、香有り。日光を得て乃 ち開敷す。卑湿淤泥に生じ、高原陸地に生ぜず。 水に生ずと雖も水は没すること能はず。淤泥(ⅰ)に在ると雖も泥は汚すこと能はず。即ち華時に実有り。然るに華事始まれば則ち実隠 れ、華事已むれば則ち実 現る。実は黄に始まり玄に終はる。而して茎葉緑にして葉始めて生ず。乃ち微赤有り。実は既に能く根を生ず。根は又た能く実を生ず。実は一のみ。根は則ち量 無し。一と無量、互相生起す。其の根を{艸+氵+禺}と曰ふ。常に偶して生ず。其の中は本と為す。華実出づる所。{艸+氵+禺}白く空有り。之を食らへば 心歓ぶ。本実黒有り。然れども其の生起は緑と為し、黄と為し、玄と為し、白と為し、青と為し、赤と為す。而して黒有る無し、見る無し、用ふる無し。而して 見る有り、用ふる有るは、皆因りて其の名を出だして蔤と曰ひ、密に退蔵するの故を以てなり。

[校記]

(ⅰ)五雅本、於泥に作る。
 

[注釈]

(1)    『爾雅』釈草。
(2)    『古今註』草木第六。原文は「花大なる者は百葉に至る」となっている。
(3)    『楚辞』九歌第二・湘君。
(4)    『詩経』國風・陳風・澤陂の第一~三スタンザ。
(5)    『拾遺記』周穆王に「素蓮者、一房百子、凌冬而茂」とある。
(6)    『字説』の引用と思われるが未詳。

[考察]

 菡萏はハスの花である。ハスは夏に長い葉柄の先に紅、淡紅、白色などの花をつける。萼片四、花弁・雄蕊は多数、花床は蜂の巣状に穴がありそれぞれ 雌蕊が入っている。古くは和名をハチスといった。

 ハスの実は食用とする。またハスの種子を蓮子といい、薬や食品に用いる。ハスの種子中の幼葉や胚根は蓮子心と呼び、Liensinine、 Isoliensinine、Neferineなどのアルカロイドを含み、降圧作用などがある(『新編中薬志』)。(野口)

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