茨城大学人文学部紀要『人文学科論集』44号29-44頁、2005年9月(Bulletin of the College of Humanities, Ibaraki University, Studies in Humanities, Vol.44, September 2005)

埤雅の研究>釈草篇(4)

埤雅の研究・其八 釈草篇(4)

加納 喜光・野口 大輔

【薇】

 『爾雅』に曰く、「薇は垂水なり」(1)と。好んで水辺に生ず。故に垂水と曰ふ。藿に似て菜の微なる者なり。故に礼に豕を芼るは 薇を以てす。『記』に曰く、「鉶は牛藿、羊苦、豕薇を芼る」(2)とは是れなり。『詩』に曰く、「薇を采り薇を采る。薇も亦た作れ り」(3)「薇を采り薇 を采る。薇も亦た柔らかなり」(4)「薇を采り薇を采る。薇も亦た剛し」(5)と。「作れり」は未だ之を食 ふべからずの時なり。「柔らかなり」は則ち之を 食ふべきの時なり。「剛し」は則ち食ふべからず。「薇を采り薇を采る。薇も亦た剛し。帰らんと曰ひ帰らんと曰ふ。歳も亦た陽かなり」(6)。 然るに猶ほ戍 役未だ已まざるは、則ち其の苦を甚言する所以なり。『伝』に曰く、「君子は能く人の情を尽くす。故に人、其の死を忘る」(7)とは 此の謂ひなり。『詩』に 曰く、「山に蕨薇有り。隰に杞桋有り。君子歌を作り、維れ以て哀を告ぐ」(8)と。蕨薇は祭る所以なり。下国禍を構へ、怨乱並び興 る。則ち孝子の其の親を 饗するを得ざる者有り。故に『詩』哀を告ぐ所以なり。孔子曰く、「吾、四月に於いて孝子の祭りを思ふを見る」(9)とは、其れ是れ と為すか。『字説』に曰 く、「蔥は関節を疏し、気液を達すること怱なり。所謂葱珩は其の色此の如し。總も亦た此の如し。薇は礼に豕の用なり」(10)と。 然れば微は食ふ所あり。 故に『詩』は采薇を以て戍役の苦を言ふ。而るに草蟲の序は蕨の後に於いて求取の薄きを喩ふ。{艸+疆}は疆なり。我に疆する者なり。毒邪、臭腥、寒熱に於 いて、皆以て之を禦ぐに足る。芥は介なり。我に界する者なり。汗は能く之を発し、気は能く之を散ず。

[注釈]

(1)    『爾雅』釈草。
(2)    『儀礼』公食大夫礼。
(3)    『詩経』小雅・鹿鳴之什・采薇の第一スタンザ。
(4)    『詩経』小雅・鹿鳴之什・采薇の第二スタンザ。
(5)    『詩経』小雅・鹿鳴之什・采薇の第三スタンザ。
(6)    『詩経』小雅・鹿鳴之什・采薇の第三スタンザ。
(7)    『毛伝』小雅・鹿鳴之什・采薇の第六スタンザの毛伝。
(8)    『詩経』小雅・谷風之什・四月の第八スタンザ。
(9)    『論語』や『孔子家語』などには見えず。
(10) 『字説』宋・王安石の著。すでに散逸して伝わらない。

[考察]

 日本では薇をゼンマイと訓じる。しかしこれは誤りで、薇はスズメノエンドウ(小巣菜Vicia hirsuta)などのソラマメ属の植物を指す。

 『和名抄』では「薇蕨」の二字で「和良比」と訓じている。『本草和名』は「蕨菜」を「和良比」と訓じているが「薇」は載せていない。『新撰字鏡』 は「薇」を「万可古」と訓じている。いずれも「薇」をゼンマイとは訓じていない。

 中国ではゼンマイ(Osmunda japonica)は「紫萁」という。『爾雅』には「藄、月爾」とあり、郭注に「即紫藄也。似蕨可食」とあり、「蕨」に似て紫色の植物であ るという。(野 口)

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