埤雅の研究>釈草篇(3)

【蘜】

 
 『爾雅』に曰く、「蘜は治蘠」(1)と。今の秋華鞠なり。鞠艸は華有りて此に至りて窮す。故に之を鞠と謂ふ。一に曰く、鞠は金を 聚むるが如く、鞠して落ちず。故に鞠と名づく。蓋し鞠は華を落とさず。蕉は葉落ちず。亦た蕉は一葉、舒なれば則ち一葉焦げて落ちず。故に之を蕉と謂ふ。月 令、季秋に云ふ、「鞠は黄華有り」(2)と。有と曰ふ者は、其の有るの時に非ざるなり。『春秋伝』に曰く、「有るとは、宜しく有る べからざるなり」(3) と。『周官』に、「后蠶し、鞠衣を服す」(4)と。鞠衣は色黄にて鞠に象る。鞠は蓋し陰中に華さき、其の華は則ち又た中の色なり。 后は内外の命婦を帥ひて 蠶す。則ち天下の嬪婦をして中を取らしむ。其の服する所此の如し。王后は六服、褘翟には翬を取る。楡狄には楡を取る。鞠衣は又た諸を鞠に取る。故に鳥獣草 木の名、孔子、学ぶ者の多識なるを欲す(5)。而して礼を記す者以為へらく、「衣服の身に在りて其の名を知らざるを罔と為すなり」(6)と。 鄭氏、『周 官』を解し以為へらく、「王后は六服、翬狄は玄、揄狄は青し、闕狄は赤し、鞠衣は黄、展衣は白し、褖衣は黒し」(7)と。翬狄は 玄、揄狄は青し、鞠衣は黄 と謂ふ所の若きは、其の説是なり。所謂闕狄は赤し、展衣は白し、褖衣は黒しと謂ふ所は、其の説非なり。『毛詩伝』を按ずるに、「展衣は丹縠を以て之を為 す」(8)と言へば、則ち展衣は赤し。赤は則ち誠信の道有るを宣布著(ⅰ)尽す。故に之を展を謂ひ、又た或 は之を襢と謂ふ。『礼記』に曰く、「内子、襢衣 を以てす」(9)と。亦た帛に通じて旜と為す。旜は絳帛なり。此と同義なり。鞠衣は黄、展衣は赤なれば、則ち褖衣は白し。難ずる者 曰く、褖衣は吉服なり。 純白は婦人の吉服の宜とする所に非ず。曰く、蓋し褖衣の纁衻有るを知らず。『周官』の緑衣、是れのみ。闕狄、一名屈狄。則ち揄狄の制、屈有るを視る。刻し て画かざるは、是れなり。其の色、宜しく亦た揄狄の如くなるべし。

[校記]

(ⅰ) 五雅本、著の字を箸に作る。

[注釈]

(1)    『爾雅』釈草。
(2)    『礼記』月令。
(3)    『春秋左伝』桓公の正義。
(4)    『周礼』内司服。
(5)    『論語』陽貨篇に「小子よ。何ぞかの詩を学ばざる。詩は以て興すべく、以て観るべく、以て群すべく、以て怨むべし。之を邇くしては父に事え、 之を遠くしては君に事う。多く鳥獣草木の名を知る」とある。
(6)    『礼記』少儀、身の字を躬に作る。
(7)    『周礼』内司服。
(8)    『毛詩伝』国風・鄘風・君子偕老の第三スタンザの毛伝に「礼有展衣、以丹穀為衣」とある。
(9)    『礼記』雑記には「内子以鞠衣…」とある。

[考察]

 キク(Dendranthema grandiflorum) は中国で五~六世紀ごろにチョウセンノギク(小紅菊D. zawadskii var. latilobum)とハイシマカンギク(野菊D. indicum)の交配からできたと考えられ、その後大いに改良された (『日本の野生植物Ⅲ』平凡社)。従って『爾雅』や『説文解字』の時代には品種改良されたキクは存在せず、キク属の自生種のみであったと考えられる。

 キク属の植物は自然雑種も多く、種の同定が困難である。また、キク属をChrysanthemumとして大きくまとめる分類もあり図鑑によって学 名が異なっている。

 鞠の字は革で包んだまりを意味する。花が丸くにぎった形のため鞠と名付けられたのだろう。キク科(Compositae)の植物は集合花があたか も一つの花のように見える頭状花序を形成する。また「鞠艸は華有りて此に至りて窮す」とあるが、鞠と窮(かがむ、ちぢむ)は古代語では音の似た同系のこと ばである(藤堂明保『漢和大字典』)。科名のCompositaeとはラテン語で(集合花が)合成されたという意であり、一七一八年にフランスの Vaillantが命名した(『日本の野生植物Ⅲ』平凡社)。

 『爾雅』、『説文解字』とも「蘜は治牆」というが、治蘠とは何の植物であるか不明である。『説文解字』では〓の別名に秋華や日精を挙げるが、治牆 とは結びつけていない。段玉裁は「則治牆之非秋華亦略可見」とし、治牆と秋華鞠は別物であるとした(『説文解字注』艸部・〓の項)。(野口)


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