埤雅の研究>釈草篇(4)

【諼草】

 草の以て憂ひを忘るるべき者、故に諼草と曰ふ。諼は忘なり。『詩』に曰く、「焉にか諼草を得て、言に之を背に樹てん」(1)と。 言ふこころは憂思を以て自ら遣る能はず、故に此の華を以て之を背に樹つるなり。董子曰く、「人の憂ひを忘れんと欲すれば、則ち之に贈るに丹棘を以てす。丹 棘は一名、忘憂。人の忿りを蠲かんと欲すれば、則ち之に贈るに青堂を以てす。青堂は一名、合歡」(2)と。『養生論』に以為へら く、「合歡は忿りを蠲き、 萱草は憂ひを忘る」(3)とは、即ち此れ是れなり。亦た或は之を鹿蔥と謂ふ。蓋し鹿は此の草を食ふ。故に以て名づくと云ふ。壺子(4)の 所謂鹿の性は警烈 にして、多く良草を別ち、九物を常食す。餌薬の人、鹿を食ふべからず。鹿は解毒の草を常食するを以て、是の故に能く諸薬を制散す。内則に、物の食ふべから ざる者を弁じて一に鹿胃と曰ふ。胃は其れ食を受くるの府なり。則ち尤も食ふべからず。九草は葛葉華、鹿蔥、鹿薬、白蒿、水芹、斉頭蒿、山蒼耳、薺苨是れな り。『本草』に亦た曰く、「萱草は一名、鹿蔥。華は宜男と名づく。風土記に云ふ、懐(ⅰ)妊の婦人、其の華を佩ぶれば男を生むな り」(5)と。

[校記]

(ⅰ)五雅本、懐の一字無し。

[注釈]

(1)    『詩経』国風・衛風・伯兮の第四スタンザ。
(2)    『古今注』問答釈義。
(3)    『政和本草』が引く嵆康『養生論』に見える。
(4)    壺子は壺丘子のこと。戦国、鄭の人で列子の師。
(5)    『政和本草』が引く嘉祐本草。

[考察]

 諼草はワスレグサ(萱草 Hemerocallis fulva) に同定される。中国原産の植物で、日本へは史前に帰化したといわれている。

 諼草は憂いを忘れさせる草といわれており、忘憂とも呼ばれる。『万葉集』でも萱草(わすれ草と訓じる)が大伴旅人に、やはり憂いを忘れさせる草と して詠まれている。属名のHemerocallisはhemera (一日)+callos(美)のことであり、美しい花が一日だけでしぼんでしまうことに由来する。その美しさと儚さが憂いを忘れさせるのであろうか。(野 口)

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