埤雅の研究>釈草篇(3)

【虉】


 小草、五色にして綬に似る。故に綬草と名づく。『詩』に曰く、「邛に旨鷊有り」(1)と。言ふこころは、文采の具備有らんことを 欲して、以て條理を成すの臣、虉の如き者、之を戕賊せずして、而る後に焉を得。或は曰く、「鷊は綬鳥なり」(2)と。故に虉(ⅰ)は 雑色有りて綬に似る。 其の字、鷊に从ふ。釈草に曰く、「虉は綬なり」(3)と。是の詩始めに、「防に鵲巣有り」(4)と曰ふ者 は、驚懼せざるを以ての故に、防に鵲巣有るなり。 卒に、「邛に旨鷊有り」(1)と曰ふ者は、之を戕賊せざるを以ての故に、邛に旨鷊有るなり。且つ鵲は善く其の地を相して巣を累ぬ。 安らかなれば則ち其の功 用を致し、驚懼の憂ひ有れば則ち累ねざるなり。鷊は善く其の天に相して綬を吐く。楽しければ則ち其の文采を見、戕賊の疑ひ有らば則ち吐かざるなり。『伝』 に曰く、「虞氏の恩、動植を被ふ」(5)と。故に烏鵲の巣、俯して窺ふべし。今、綬鳥の大なること鸜鵒の如し。頭頬、雉に似、時有 りて物を吐く。長さ数 寸、食は必ず嗉に蓄へ、臆前大なること斗の如し。其の嗉に触れるを慮り、行くに毎に草本を遠ざく。『古今註』に云ふ、「吐綬鳥、一名功曹」(6)と。 今俗 に之を錦嚢と謂ふ。蓋し鵲の性、多く懼る。利に就きて害を違る。『荘子』の所謂、瞿鵲子(7)なる者は義、諸を此に取る。故に曰 く、「吾れ諸を夫子に聞け り。聖人務めに従事せず。利に就かず、害を違(ⅱ)らず」(8)と。周書に又た意而子なる者有り。意而は燕 なり。鵲と反す。蓋し燕は諸人の間を襲ひ、猜懼 する所無し。故に道を許由に問ふ。而して許由曰く、堯既已に汝を黥するに仁義を以てし、汝を劓るに是非を以てす。汝将に何を以て夫の遥蕩恣睢伝徙の塗に遊 ばんとするか、と(9)

[校記]

(ⅰ)五雅本、鷊に作る。(ⅱ)五雅本、遠に作る。今本『荘子』は違に作る。

[注釈]

(1)    『詩経』国風・陳風・防有鵲巣の第二スタンザ。
(2)    『毛詩』国風・陳風・防有鵲巣の毛伝には「鷊は綬草なり」とある。
(3)    『爾雅』釈草。
(4)    『詩経』国風・陳風・防有鵲巣の第一スタンザ。
(5)    未詳。
(6)    『古今註』鳥獣。
(7)    瞿鵲子は『荘子』の齊物論(内篇)、馬蹄(外篇)に登場する。
(8)    『荘子』齊物論。
(9)    『荘子』大宗師(内篇)に見える意而子と許由の問答である。

[考察]

 虉はラン科のネジバナ(モジズリSpiranthes sinensis) に同定される。現代漢語では綬草という。ネジバナは海抜の低い草原などに生える多年草で高さ一五~三〇センチメートル、葉は三~一〇ミリメートルと細く根 生する。花序は偏側性でいちじるしくねじれる。花は桃紅色またはまれに白色、緑色である。

  『荘子』にはしばしば変わった名前の人物が登場するが、陸佃はここで挙げられた瞿鵲子、意而子はそれぞれ鵲、燕(意而)にちなむという。『埤雅』釈鳥では 燕の別名として玄鳥と『荘子』山木篇の「鷾鴯」を挙げている(『埤雅の研究・其三 釈鳥篇(3)』)。(野口)


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