【鶴】
鶴は形状鵝の如し。青脚にして素翼。常に夜半に鳴く。故に『淮南子』に曰く、「鶏は将に旦ならんことを知り、鶴は夜の半ばらなんことを知る」(1)と。其の鳴くこと高亮、八九里に聞こゆ。雌は声差下し(2)。旧に云ふ、「此の鳥、性は警なり。八月白露降り、草上に流れ、点滴声有るに至りて、因りて即ち高く鳴きて相警し、宿る所の処を移徙す。変害有るを慮るなり」と。蓋し鶴は、体絜(ⅰ)白、挙がれば則ち高く至り、鳴けば則ち遠く聞こゆ。性又善く警しむ。行くに必ず洲嶼に依り、止まるに必ず林木に集まる。故に詩易(ⅱ)以て君子の言行の象と為す。始めて生まれて二年、子毛を落とす。三年産伏す。七年飛びて雲漢に薄る。後七年舞を学ぶ。後七年節に応ず。後七年昼夜十二鳴き、律に中る。後六十年、生物を食らはず。大毛落ち、茸毛生じ、色雪白、泥水も汚す能はず。百六十年、雌雄相視て、目睛転ぜずして孕む。千(ⅲ)六百年、飲みて食らはず。聖人上に在れば則ち鳳凰と甸に翔く。其の精神気骨相に応ず。故に古へ鶴を相するに経有り(3)。蓋し鶴は陽物なり。而して陰に遊(ⅳ)ぶ。金気火精に依りて以て自ら養ふに因る。火数は七、金数は九、故に七年小変、十六年大変、六十年変止まり、千六百年形定まりて色白し。水を食す、故に喙長し。前に軒なり、故に後に短し。陸に棲む、故に足高くして尾凋す。雲に翔く、故に毛豊かにして肉疎なり。大喉を以て故を吐き、脩頸以て新を納る、故に寿なり。凡そ鶴の上相は、隆鼻短口なれば則ち眠ること少なし。高脚疏節なれば則ち力多し。露眼赤睛なれば則ち視ること遠し。回翎亜膺なれば則ち体軽し。鳳翼雀毛なれば則ち善く飛ぶ。亀背鼈腹なれば則ち能く産む。前に軽く後ろに重ければ則ち善く舞ふ。洪髀繊趾なれば則ち能く行く。『禽経』(4)に曰く、「鶴は怨を以て望み、鴟は貪を以て顧み、鶏は嗔を以て睨み、鴨は怒を以て瞋り、雀は猜を以て瞿れ、燕は狂を以て{目+行}す、視なり。鸎(ⅴ)は喜を以て囀り、烏は悲を以て啼き、鳶は飢を以て鳴き、鶴は絜(ⅵ)を以て唳き、鳬は凶を以て叫び、鴟は愁を以て嘯す、鳴なり。今鶴雌雄相随ふこと道士の斗に歩むが如し。其の跡を履みて孕む」と。『内典』(5)に曰く、「鶴は影生す」と。『禽経』に曰く、「鶴は陰を愛して陽を悪み、雁は陽を愛して陰を悪む」(6)と。
[校記]
(ⅰ)叢書本、潔に作る。(ⅱ)五雅本、伝に作る。(ⅲ)叢書本、于に作る。(ⅳ)五雅本、叢書本、流に作る。(ⅴ)叢書本、鶯に作る。(ⅵ)叢書本、潔に作る。
[注釈]
(1)『淮南子』説山訓。
(2)「其の鳴くこと」から「声差下し」まで、陸璣の『毛詩草木鳥獣虫魚疏』に同文が見える。
(3)浮丘公に仮託した『相鶴経』という本があり、「蓋し鶴は陽物なり」から「故に寿なり」まで文が似ている。
(4)(6)今本の『禽経』に見えない。
(5)『内典』 未詳。沈約の書か。
[考察]
本草書には白、玄、黄、蒼の四種の鶴が出ているが、白鶴はおそらくタンチョウ(Grus japonensis)、またはソデグロヅル(G.leucogeranus)に当たる(『新註校訂国訳本草綱目』第11冊)。玄鶴はナベヅル、蒼鶴はクロヅルに当たるかもしれない。ほかにも何種類かの鶴が中国に棲息する。
鶴の異名に、仙鶴、仙禽、仙各、仙驥、仙羽、胎仙、胎禽など、神仙とかかわるものが多い。鶴が長寿だという観念は紀元前までさかのぼる。『淮南子』説林訓に「鶴寿は千歳」とあるのが最初である、『春秋繁露』循天之道篇では長寿の理由を、体内に鬱気がないからだと説明している。体内に気がスムーズに通る身体構造を鶴は備えているという。漢代の墓から発見された導引図にある「鶴聴」というポーズは、鶴の鳴く姿を模傲して健康と長寿を得るための呼吸法である。右の本文に「故を吐き新を納る」とあるのは、吐故納新といわれる導引術の呼吸法であり、これを鶴はおのずと行っているというのである。「歩斗」も仙術と関係があるのかもしれない。鶴の雌雄はこの道土の歩行法と似た歩き方を行い、足跡を踏んで孕むのだという。ここまで来ると神仙の世界である。それほど鶴はミステリアスな鳥というイメージが古代人にあったのである。(加納)