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(茨城大学人文学部紀要『人文科学論集』第43号)


埤雅の研究・其五 釈草篇(1)─中国博物史の一斑─
加納喜光/久保輝幸/吉野尚政

        【竹】
竹は物の筋節有る物なり。故に蒼史(1)字を制するに筋節皆竹に从ふ。『爾雅』に曰く、「東南の美なる者、会稽の竹箭有り」と(2)。今、竹の性、亦た東 南に引生するを喜ぶ。故に古の種法(3)に云ふ、「劚、東南に取り、根を園角の西北に引きて、之を種う。之を久しくして自ら当に園に満つべし」と。語 (4)に曰く、「西家竹を種え、東家地を治む」と。其の滋引して生じ来るを言ふなり。『易』(5)に曰く、「方に類を以て聚まる、竹東南に引けば則ち卦を 以て之を推す。巽を竹と為す。震は東方なり。故に震を蒼筤竹と為すのみ。蒼筤は幼竹なり。今、人叢竹を洗沐し、其の繁乱を芟り、其の勢を分たしめず、然る 後に枝幹茂擢す。俗に之を洗と謂ふ。洗竹はただ洗華の例の如し。水を用ふるに非ざるなり。伝に曰く、「淇衛の箘簬」と。又曰く「淇衛の箭」と。又曰く「淇 園の竹を下して以て楗と為す」と。又曰く、「淇園の竹を伐りて以て矢と為す」と。蓋し淇の竹を産するは、土地の宜しとする所。故に風人此を以て武公の徳を 美するなり(6)。『詩』に曰く「彼の淇の奥(i)を瞻れば、緑竹猗猗たり」「彼の淇の奥(i)を瞻れば、緑竹青青たり」と(7)。竹の初生、其の色は 緑。長ずれば則ち緑転じて青し。故に是の詩此の如し。然れども其の卒章、又曰く、「簀の如し」と(8)。「簀の如し」とは、盛なるを言ふなり。且つ「簀の 如し」と曰ふは、則ち又以て其の竹為るを明らかにするなり。礼器に曰く、「礼は器なり。是の故に大いに備ふ。大いに盛徳を備ふるなり。其の人に在るや、竹 箭の筠あるが如し」(9)と。蓋し曰く、「切するが如く瑳(A)するが如く、琢するが如く磨するが如し」と(10)。則ち礼、器に至る。礼は器なり。是の 故に大いに備ふ。大いに盛徳を備ふるなり。故に『詩』に曰く、「匪(B)なる君子有り、終に諼るべからず」と(11)。道盛んに徳至つて善く、民の忘る能 はざるなり。『国語』に曰く、「其の没するに及ぶや、之を睿聖武公と謂ふ。然らば則ち武公は其れ殆ど聖ならんか」と(12)。『爾雅』に曰く、「竹箭の如 きは苞と曰ふ。松柏の如きは茂と曰ふ」と(13)。苞は其の本を言ひ、茂は其の末を言ふ。竹の性は叢生、行鞭深遠なり。故に苞と曰ふ。『詩』に曰く、「秩 秩たる斯干、幽幽たる南山、竹の苞れるが如く、松の茂れるが如し」と(14)。干は源流の長きを言ふなり。山は基址の固きを言ふなり。竹は根本叢緻なるを 言ひ、松は枝葉繁衍なるを言ふ。蓋し是の如くならざれば、室有りと雖も、豈是れ楽しむに足らんや。故に考室の詩、首章此の如し。『竹譜』に曰く、「北方は 寒冰、冬に至りて地凍る。竹根の類浅し。故に植うる能はず」と(15)。是が為の故なり。『爾雅』に又曰く、「莽は数節、桃枝四寸節有り」と(16)。粼 (W)堅中、簢筡(X)中、凡そ此れ皆竹の類、一疏一数、一虚一実。『爾雅』に又曰く、「簜は竹なり」と。孫炎以為へらく、濶節を簜と為すと(17)。 『儀礼』を按ずるに(18)、簜は建鼓の間に在り。簜は蓋し簫の属、明らけし数節に非ざる者なり。旧説に、竹率ね六十年、根輒ち一たび易ふ。即ち華実りて 枯(Y)死す。実、土に落ちて復た生じ、六年にして疃を成す。(19)。稽聖賦に曰く、「竹、実を布きて根枯る。蕉、花を舒べて株槁る」と(20)。 『礼』に、「斬衰は竹を杖とし、斉衰は桐を杖とす」と(21)。説者以為へらく、竹の円は天に効ひ、桐の方は地に法ると。又曰く、竹は蹙なり、桐は痛な り。竹は節を外にし、桐は節を内にす。喪礼以て父を圧す。故に母の朞と為せば、則ち其の節外に達するを得ず。且つ桐、杖を削るは、亦た以て其の眚礼を明ら かにす。夫れ父は亢すべからざるなり。然れども母亦た豈略すべけんや。故に斉衰桐を杖とし、之を削りて充つこと勿からしむるのみ。檀弓(22)に曰く、竹 は用を成さず、瓦は味を成さず、木は斵を成さず。竹は用を言ひ、瓦は味を言ひ、木は斵を言ふ。相備ふるなり。竹に用を成さずと曰ふは、其の質を主として之 を言ふ。木に斵を成さずと曰ふは、其の文を主として之を言ふ。其の瓦味を成さずと曰ふは、則ち以て飲食を受けて、又以て味を成すに足らざるを言ふなり。 『荀子』に曰く、「木器斵を成さず、陶器物を成さず、薄器内を成さず。変味は物を言ひ、変用は内を言ふ。其義一なり」と(23)。『説文』に云ふ、「竹は 冬生の艸なり。象形」と(24)。下垂する者は箁箬なり。蓋し竹は倒艸に从ふ。竹は艸なり。而して冬死せず。故に倒艸に从ふ。一に曰く、竹は倒種す。故に 倒艸に从ふと。其の萌を筍と曰ふ。筍は勹に从ひ日に从ふ。勹の日を筍と為し、解の日を竹と為す。一に曰く、旬に从ふは、旬の内に筍と為り、旬の外に竹と為 る。今、俗に竹を呼んで妬母草と為す。言ふこころは、筍、旬有六日にして母に斉し。

    [校記]
(@)叢書本、澳に作る。(A)叢書本、五雅本、磋に作る。(B)五雅本、斐に作る。(C)叢書本、五雅本、粼に作る。(D)五雅本、茶に作る。(E)叢 書本、苦に作る。

    [注釈]
(1)蒼史 蒼頡のこと。文字の発明者とされる神話的人物。史は太史の史で、記録者の意味。つまり、文字を創造して記録した者をいう。
(2)『爾雅』釈地。
(3)種法 書名ではなく、植樹法をいうのであろう。
(4)語 言葉や物語の意味だが、この場合は諺であろう。
(5)『易経』 「方に類を以て聚まる」は繋辞上伝より、「震は東方なり」「震は蒼莨竹と為す」は説卦伝に見える。また説卦伝には、「巽は木と為す」とあ り、「竹と為す」ではない。「巽は東南なり」とある。
(6)『詩経』衛風・淇澳篇の小序に「淇澳は武公の徳を美するなり」とある。
それぞれ『詩経』衛風・淇澳篇の第一、二スタンザの冒頭の二句。
(7)『詩経』衛風・淇澳篇の第三スタンザの第二句に「緑竹如簀」とある。
(8)『礼記』礼器。
(9)『礼記』礼器。
(10)『詩経』衛風・淇澳篇の第一スタンザの第四、五句。
(11)『詩経』衛風・淇澳篇の第一スタンザの第八、九句。
(12)『国語』楚語上。
(13)『爾雅』釈木。
(14)『詩経』小雅・斯干篇の第一スタンザの冒頭の二句。
(15)『竹譜』南朝宋の戴凱之撰。
(16)『爾雅』釈草。
(17)『爾雅正義』 孫炎の疏。
(18)『儀礼』大射。
(19)旧説 古人の説の意。『竹譜』に「竹六十年に一たび根を易ふ。根を易ふれば輒ち実を結びて枯れ死す。其の実、土に落ちて復た生ずること六十年、遂 に◆[竹+紂]竹と成る」とある。
(20)顔之推「稽聖賦」か。
(21)『礼記』喪服小記や問喪において竹杖、桐杖のことが述べられている。
(22)『礼記』檀弓
(23)『荀子』礼論篇。
(24)『説文解字』第五篇上

    [考察]
 竹と一言でいってもその種類は多く、中国全土に三十属四百種あまりもが自生するといわれる。戴凱之(晋)の『竹譜』や僧賛寧(宋)の『筍譜』などにも数 十種があげられている。今の中国にある竹の中でもっとも多く栽培されているものはモウソウチク(学名Phyllostachys  heterocycla)である。モウソウチクは直径20p、高さ20mになる大型の竹で、観賞用とされるほか、材としても用いられる。タケノコも美味で ある。和名は三国呉の孟宗(二十四孝の一人)が母のために冬にタケノコを求めた故事に由来する。中国では現在逆輸入の形でこの名前が使われることもある が、普通は毛竹や南竹の名で呼ばれている。牧野富太郎は李衎『竹譜詳録』より、猫頭竹をモウソウチクの漢名とし、狸頭竹、猫竹、茅竹などをその異名とし た。ただし『竹譜』や『筍譜』、『本草綱目』に猫頭竹の名が見えないことから、古くから広く知れ渡った名前ではないと考えられる。今でこそ幅広い用途から 数多く栽培されているが、その昔は一地方種に過ぎなかったのだろうか。
淇園の竹とは、日本で言うところのヤダケ(学名Pesudosasa  japonica)のような細くまっすぐな竹なのだろうが、ヤダケそのものは日本の種で中国にはない。ヤダケはその名が示すとおり矢に用い られ、「のるかそるか」の語源になったと言われる。中国のヤダケ属としてホウタクセンチク(学名P.  usawai)がある。竹の種類として莽竹、桃枝竹、粼堅 中、簢筡中、簜竹などがあがっている。いずれも同定することはできなかったが、粼堅中については、『爾雅』の郭璞注に「其の中は実なり」とあることから、 穴のない竹、中実種であるコマチダケ(Bambusa multiplex f. solida)の類と考えられる。ただし断崖などで地下茎が行き場を失って地表に出ると、穴のない地下茎的な性質をもった竹稈となる そうだ。『竹譜』注のいうところの「竹の大体なるもの多くは空中、而して時に実あり。十に或ひは一のみ」とあるは是を指すのか。
陸佃は『易経』をもって、竹が東南に向かって広がるとする説の根拠としている。しかし、『斉民要術』種竹には「劚、西南に取り、根並びに茎は、葉を芟去 し、園内の東北の角に引きて之を種う」とあり、その注では「諺に云う、東家竹を種え、西家地を治む」と東西が逆になっている。これは『種樹書』においても 同じである。陸佃の誤りか。ともかくも竹は地下茎より新たな竹を生じ、株を増やすため、当然日の当たる南側に広がりやすいと考えてよいだろう。また西南で も東南でも、それは新たに伸びた若竹にあたるから、これを取ることは理にかなっている。
 地下茎によって繁殖する竹ではあるが、花を咲かせ有性生殖をするときがある。『埤雅』にはその周期が六十年とあるが、六十年という数はおそらく干支が一 巡りするほどに長いことを言わんとしているのだろう。周期は種類によって違い、未だほとんど解明してないようである。長い周期を経て一斉開花すると、その 竹林は枯れてしまう。近年の記録では一九六五年頃に全国的にマダケが一斉開花し、枯死している。記録をたどるとマダケの開花枯死は百二十年周期となるそう だ。また一九一二年に部分開花したモウソウチクの種子から生えた子孫は六七年後の一九七九年にすべてが開花枯死している。
「斬衰は竹を杖とし、斉衰は桐を杖とす」以下、「竹は用を成さず、…」云々までは葬礼について述べたものである。斬衰とは喪服のもっとも重いもの、斉衰は その二番目のものである。斬衰は父や夫の喪に、斉衰は母や妻の喪に用いられる。「竹は用を成さず、…」云々は埋葬品についての話である。
竹という字について、陸佃は、竹は草でありながら冬枯れしないことから、草を逆さまにした象形としている。また「竹は倒種す」とあるが、倒種については郭 橐駝(唐)の『種樹書』に「顛倒して之を種う」とあるのが見える。竹を植えるに際して、旧暦の五月十三日を竹酔日(竹迷日)と言い、もっとも適した日とさ れた。今でもこの日は日本の各地で竹やタケノコに関する行事、イベントが催されている。竹酔日の始まりについて、室井綽が著書『竹の世界』などで約三百年 前の徐石麒『花庸月令』の記載をあげているが、『種樹書』にすでに「竹に酔日あり。即ち五月十三日なり」とあるのが見える。
筍という字については、勹は包むの意であり、タケノコが皮に包まれているから筍、皮が剥がれるから(解けるから)竹になると言い、もう一説は、旬は十日を 意味し、十日を過ぎると竹になるからだと言うのである。「旬有六日にして母に斉し」というのも、竹の成長の早さからきている。さすがに半月足らずで若竹が 親竹と変わらないまでに育つことはないが、二、三ヶ月で変わらないまでに育つ。タケノコといえば春の風物として知られているが、晩夏に生えるホウライチク (Bambusa multiplex)や十月ごろに生えるカンチ ク(学名Chimonobambusa marmorea)のよう な秋生のものもある。『詩経』大雅・韓奕の陸疏に「巴竹の筍は八月九月に生ず」とあり、秋生の竹種がはるか古より認識されていたことが分かる。前述の竹酔 日は春生の竹ではなく、これら秋生の竹に適したものと室井綽は言っている。(吉野)
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        【蓬】                     
  釈草に云ふ、「齧は、彫蓬。薦は、黍蓬」と(1)。『詩』に曰く、「首は飛蓬の如し」と(2)。蓬は、蒿の属、草の理あらざる者なり。其の葉は散生し蓬た るが如し。末は本より大なり。故に風に遭へば、輒ち抜けて旋る。『説苑』に曰く、「秋蓬は根本に悪しくして、枝葉に美なり。秋風一たび起れば、根は且に抜 けんとす」と(3)。是を以て君子は本に務むるなり。騶虞の一章に曰く、「彼の(@)たる者は葭」と。二章に曰く、「彼の唐スる者は蓬」と(4)。葭は 沢草なり、蓬は陸草なり。故に『詩』は以て庶類の蕃殖するを言ふ。『書経』に曰く、「疇れか予が上下の草木鳥獣に若はん」と(5)。『荘子』に曰く、「夫 子、猶、蓬の心有るかな。蓬は善く転旋し、直達する者に非ざるなり」と(6)。『商子』に曰く、「飛蓬は飄風に遭ひて行くこと千里、風の勢に乗るなり。蓋 し蓬は転に利するの象あり」と(7)。故に古者は浮木を観て、舟を為るを知り、転蓬を観て車を為るを知る。然れども蓬は転徙常無しと雖も、其の相遇ふは往 々にして有るなり。故に其の字を制するに逢に从ふ。『東観漢記』に曰く、「栗駭、蓬転、遇に因りて際会す」と(8)。『管子』に曰く、「儀法程式無くん ば、蜚揺して定まる所無し。之を蜚蓬の問と謂ふ。蜚蓬の問は、明主聴かざるなり」と(9)。故に『詩』に曰く「先民を是れ程するに匪ず、大猷を是れ経する に匪ず」と(10)。大夫以て幽王を刺る。

    [校記]
(@)五雅本、「拙」に作る。

    [注釈]
(1)『爾雅』釈草。
(2)『詩経』衛風・伯兮篇の第三スタンザ。
(3)『説苑』敬慎。
(4)『詩経』召南・騶虞篇、第一、二スタンザ。
(5)『書経』尚書・虞書・巻三・舜典。
(6)『荘子』内篇・逍遙遊。
(7)『商子』禁使。
(8)『東観漢記』散句。
(9)『管子』形勢解。
(10)『詩経』節南山之什・小旻。

    [考察]
蓬については、寺井泰明氏の『和漢比較文学』「蓬・蒿・艾とよもぎ」、及び『花と木の漢字学』所収の「転がる蓬」に詳細に述べられているので、ここでは蓬 を別の視点からとらえてみたい。
 まず『箋注倭名類聚抄』に、「『説文』に蓬、蒿也と云ひ、並べて其の形状を言はず。本草諸本、亦た載する無し」という記述がある。本草書における蓬は、 『本草拾遺』に「蓬草子、飯を作り之を食す。粳米と異なる無し。倹年、之を食すなり」とあるだけで、どのような形状をした植物なのかわからない。李時珍は この考証を行い、『本草綱目』に以下のように述べている。「蓬草子…珍按ずるに、蓬の類、一ならず。雕蓬有り、即ち菰草なり。菰米の下に見ゆ。黍蓬有り、 即ち青科なり。又、黄蓬草、飛蓬草有り。陳氏の指す所、果して何の蓬なるかを識らず。…其の飛蓬は乃ち藜蒿の類。末は大にして本は小なり、風、之を抜き易 し。故に飛蓬と号す」とし、蓬の類は種類が多く、はっきりとしないようである。従って、『詩経』の騶虞における蓬と伯兮の飛蓬とは、そもそも別の植物では なかろうかという推測が成り立つ。また、「飛蓬は乃ち藜蒿の類」としているので、飛蓬をアカザの類と考えていたのであろう。
 牧野富太郎は『植物一日一題』「蓬とヨモギ」の冒頭で、「源順の『和名類聚鈔』に蓬を与毛木としてあるのがそもそもの間違いで、それ以来今 もって今日にいたるもなお人々がヨモギを蓬と書いて怪しまないが、…」としている。そこで、改めて蓬がヨモギとなった経緯を調べてみる。十巻本『和名類聚 鈔』は「艾、『本草』に艾、一名醫草と云ふ。[割注に与毛岐] 『兼名苑』に蓬、一名蓽、艾なりと云ふ」となっており、蓬に直接ヨモギとよみをつけてはい ない。しかし、名古屋市立博物館所蔵の20巻本『和名類聚抄』には、「蓬[ヨモギとふりがな]」とのみある。蓬をヨモギと読むのは、この二十巻本に始まる のかは定かでないが、蓬をヨモギと読むようになったのは、この『兼名苑』の記述によるところが大きいと考えられる。『本草和名』草には「艾葉、…一名薙 […兼名苑に出ず]和名、与毛岐」とある。王甫輯注『兼名苑輯注』はこれを禽鳥類に収めている。王氏は、「艾は本来、鴱であり、薙はこの訛りだ」としてい る。さらに、『兼名苑』の成立についても、その前言において「『兼名苑』の成立年代は不明であるが、…唐高宗時代(650-683)と考えられる」と分析 している。そこで、これより少し前の時代に著された『藝文類聚』草部下をみると、項目が蓬、艾の順に並べられ、蓬には『楚辞』怨世にある蓬艾の一句が紹介 されている。『藝文類聚』はあくまでこれを区別しているが、『兼名苑』の著者・李増傑は、これをみて蓬、艾なりと判断したのかもしれない。(久保)
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        【蒿】
 『晏子』に曰く、「蒿は草の高き者なり」と(1)。『爾雅』に曰く、「蘩の醜、秋を蒿と為す」と(2)。蓋し蘩の類、秋に至りて則ち高大なり。故に通じ て呼びて蒿と為すなり。又曰く、「蒿は菣、蔚は牡菣」と(3)。今人青蒿と呼ぶ。香中炙りて啖らふ者を菣と為す(4)。青蒿は蒿背の白からざる者なり。 『詩』に曰く、「蓼蓼たる者は莪、莪に匪ざれば伊れ蒿」「蓼蓼たる者は莪、莪に匪ざれば伊れ蔚」と(5)。以て(@) 憂思其の精神を乱す、故に目視昏華し、莪を視て以て蒿蔚と為すを言ふなり。蔚は蒿よりも大、故に前に蒿と曰ひ、後に蔚と曰ふなり。『荘子』の所謂「蒿目」 (A) 此に放ふか(6)。『説文』に「耄は蒿の省に从ふ」と(7)。蓋し五十の艾に象り、六十は蓍に象り、七十は蒿に象る。艾は治なり。蒿は乱なり。『荘子』に 曰く、「是れ其の弁に於けるや、将に妄りに垣墻を鑿ちて蓬蒿を殖ゑんとするなり」と(8)。蓬蒿は以て穢乱を言ふ。『管子』に曰く、「今、鳳皇麒麟来ら ず、嘉穀生ぜず。而して蓬蒿藜莠茂り、鴟梟数ば至る」と(9)。蒿の類至つて多し。青蒿一類の如きは自ら両種有り。黄色なる者有り、青色なる者有り。本草 之を青蒿と謂ふ。亦た恐らくは別有るなり。陝西・綏銀の間、青蒿、蒿叢の間に在る有り。時に一両株有り。迥然として青色なり。土人之を香蒿と謂ふ。茎葉常 蒿と悉く同じ。但此の常蒿、色は青翠にして一に松檜の色の如し。深秋に至りて余蒿並びに黄なるも、此の蒿猶青し。気稍芬香あり。恐らくは古人の用ふる所、 此を以て勝と為す(10)。

    [校記]
(@) 「以言」を叢書本・五雅本では「言以」に作る。(A) 「目」の後に、叢書本・五雅本では「故」の字あり。

    [注釈]
(1)今本の『晏子』には見えない。『晏子』外篇の注か。
(2)(3)『爾雅』釈草。
(4)「蒿は菣」に対する郭璞の注に「今人青蒿と呼ぶ。香中炙りて啖らふ者を菣と為す」とある。
(5)『詩経』小雅・蓼莪篇の第一、二スタンザ、それぞれ冒頭の二句。
(6)『荘子』駢拇篇に「今世の仁人、蒿目にして世の患を憂ふ」とある。
(7)『説文』巻八上に「年九十を耄と曰ふ。老に从ひ蒿の省に从ふ」とある。
(8)『荘子』庚桑楚篇。
(9)『管子』封禅篇。
(10)「蒿の類至つて多し」から『夢溪筆談』薬議と同文。

    [考察]
 草地には様々なタイプがあるが、そのなかで低い草に混じって背の高い草が所々生えているという群落をみることがある。低い草はイネ科などの単子葉類が多 く、高い草はヨモギ属(Artemisia)、シオン属(Aster)が多いように思われる。これらの高い草を、古典籍では一般に蒿と総称しているようで ある。さらに、その中の標準種的な植物を、とくに蒿と呼ぶこともある。また、陸佃は蒿を「蘩の類」としているおり、蘩(白蒿)と比較し「白からざる者な り」と加えている。従って、陸佃がとりあげているのは狭義の蒿である。『本草綱目』以前では「蒿草」と、以降では「青蒿」となっているものが、この狭義の 蒿である。
 『国訳本草綱目』青蒿に、和名カワラニンジン(A. apiacea) とある。また、ブレットシュナイダー、北村四郎もこれに同定している。青蒿に関する異説はまったく見当たらない。しかし、『夢溪筆談』や『埤雅』には「蒿 (広義の蒿)の類至つて多し。青蒿(狭義の蒿)一類如きは自ら両種あり。黄色なる者有り、青色なる者あり。本草之を青蒿と謂ふ。亦た恐らくは別有るな り。」としている。『図経本草』蒿草の図は2つあり、葉などの描かれ方に相違がある。本文に「夏に至りて高きこと三、五尺。秋後、細黄花を開く。花下ちて 便ち子を結ぶ。粟米大の如し。八、九月の間、之れを采る」とあるので、これはクソニンジン(A. annua)を指している可能性もある。宋代における狭義の蒿は、ほぼ Artemisia属に収まると言えるが、かならずしもカワラニンジンに限られたものではないと考えられる。(久保)
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        【蘩】
 蒿は青くして高し。蘩は白くして繁し。『爾雅』に曰く、「蘩は皤蒿、白蒿なり」と(1)。葉は青蒿よりも麤なり。初生より枯るるに至るまで衆蒿より白 し。葉(@)細艾に似たる者は、所在に之れ有り。故に皤蒿と曰ふ。今俗に之れを蓬蒿と謂ふ。以て菹と為すべし。箋に、「豆もて、蘩菹を薦む」と(2)云ふ は是れなり。一に曰く、由胡。『広雅』に曰く、「由胡、白蒿なり。北海之れを旁勃と謂ふ」と(3)。『夏小正』に曰く、「蘩(A)は由胡なり、由胡は旁勃 なり」と(4)。『詩』に曰く、「于に以て蘩を采る、沼に于(B)てし沚に于(B)てす」と(5)。蘩は祭る所以なり。沼に于(B)てすとは水の外に于 (B)てするなり。沚に于(B)てすとは水の内に于(B)てするなり。荇は之れを左右に采りて、蘩は之れを内外に采る。蘋藻は之れを上下に采る。則ちその 位彌いよ下る者は其の事亦た彌いよ繁なる故なり。伝に曰く、「夫人蘩菜を執りて以て祭を助く。神、徳と信とを饗け、求めずして備はる」と(6)。王后は則 ち荇菜なり。『国語』に曰く、「王后は親ら玄紞を織る。公侯の夫人は加ふるに紘綖を以てす。卿の内子は大帯を為る。命婦は祭服を成す。列士の妻は之れに加 ふるに朝服を以てす。庶(C)士より以下皆、其の夫に衣(D)するは此れと意を同じくす。七月の詩に曰く、「春日遅遅たり、采蘩祁祁たり」と(7)。伝に 曰く、「蘩を采るは蠶を生ずる所以なり。蓋し農功、早晩有り、蠶事、先後有り」と(8)。故に言ふ、桑を前に求めて以て蠶の早き者を箸け、蘩を後に采りて 以て蠶の晩き者に箸(E)く。今、蠶種を覆ふは尚、蒿を用ふと云ふ。『仙経』に曰く、「白蒿は白兔之れを食らへば、仙なり」と(9)。『爾雅』に曰く、 「蘩菟は、蒵」と(10)。豈是れを謂ふか。采蘩に、先づ「沼に于てし沚に于てす」と言ひ、後に「澗の中に于てす」と言ふは、夫人事に於いて進有りて退無 きを言ふ。采蘋に、澗前に在るを言ひ、采蘩に澗後に在るを言ふは、夫人事に於いて勤めざるを嫌ひ、大夫の妻、徳に於いて劭めざるを嫌ふなり。

    [校記]
(@)四庫全書本、叢書集成本、欲に作るが、五雅本により葉に改めた。ただし、「葉は青蒿よりも麤なり〜所在に之れ有り」は『新修本草』にみえる。『大観 本草』では頗に作り、『政和本草』では欲に作る。(A)五雅本、叢書集成本、繁に作る。(B)五雅本、於に作る。(C)五雅本、叢書集成本、処に作る。 (D)五雅本、消えていて判読不能。(E)叢書集成本、著に作る。

    [注記]
(1)『爾雅』釈草。
(2)『詩経』召南・采蘩の鄭玄注。
(3)『広雅』釈草。
(4)『大戴礼』夏小正。
(5)『詩』召南・采蘩篇の第一スタンザ、冒頭の二句。
(6)(5)の毛伝。
(7)『詩経』幽・七月篇の第二スタンザ、第八、九句。
(8)(7)の毛伝。
(9)『仙経』 『神仙服食経』か?、『斉民要術』巻十、蒿五四に「神仙服食経に曰く七禽方十一旁勃を采る。白兔之れを食さば、寿八百年」とある。
(10)『爾雅』釈草。

    [考察]
 前掲の蒿は「蘩の白からざる者」とされたが、これは蘩が白色を呈していることをいっている。つまり、形態が似ていると考えて良いのであろう。蘩と皤蒿、 白蒿は同義的に用いられ、本草では白蒿の名を用いる。蘩は白いことが最大の特徴とされている。白色のヨモギといえば、シロヨモギ(Artemisia Stelleriana)が思いつくが、保育社『原色植物図鑑』によれば、これは海岸の砂地に生えるという。しかし、古典籍上では「所在に之れ有り」とあ り、とくに海岸の砂地というような表現は見当たらない。従って、これは同意し難い。ヨモギ類には葉などに綿毛があり、これによって白くみえる。
 一方、ブレットシュナイダーは、「北京の山地では、人々はA. sieversiana を白高と名付けている」(『Botanicon Sincum』)とし、白蒿をこれに同定した。『国訳本草綱目』、『詩経草木彙考』、『詩経植物図鑑』もこれに同定している。北村四郎は、『詩経』の蘩、 蔞、『爾雅』の購、商蔞はすべてタカヨモギ(A. selengensis)、 『神農本草(ママ)』の白蒿はカワラヨモギ(A. capilaris) としている(『世界の植物』)。ところが、「『中国植物志』に記載された蒿属(ヨモギ属)の内、異名に白蒿とある植物は二十種を下らない」(『詩経植物図 鑑』)という。実際には、白蒿は様々な種類のヨモギ属植物を含んでいるようである。この他に、シオン属(Aster)をはじめとするキク科植物も蒿の類と されるのではないかと考えられるので、特に全体が綿毛に覆われたウスユキソウ属(Leontopodium)も、白蒿と呼ばれていたかもしれない。『詩 経』などにみられる蘩については、後掲の蘋において触れる。(久保)
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        【荇】
『爾雅』に曰く、「莕は接余、其の葉は苻」と(1)。蓋し荇は一名接余、亦た或いは之を鳬葵と謂ふ。水中に叢生し、茎は釵股の如し。葉は茎端に在り、水に 随ひて浅深たり(2)。『詩』に曰く、「参差たる荇菜、左右に流る」と(3)。三たび相参するを参と為し、両たび相差するを差と為す。参差は其の出づるこ との類無きを言ひ、左右は其の之を求むるに方無きを言ふ。王文公(4)曰く、「菨餘は、詩以て淑女に比すると雖も、然れども后妃求むる所は皆徳を同じくす る者なり、則ち菨餘は惟后妃のみ比すべし。其の徳行此の如く、妾餘の艸を以てすべし。蘩蘋藻の所謂餘艸(@) の若し」と。旧説に、「藻華は白く、荇華は黄なり」と。『顔氏家訓』に云ふ、「今荇菜は是れ水に悉く之れ有り。黄華蓴に似たり」(5)とは是なり。夫れ后 は荇を祭り、夫人は蘩を祭り、大夫の妻は蘋藻を祭る。而して詩の荇を言ふは、「之を芼る」(6)に止まるのみ。蘩には則ち「于に以て之を用ふ」(7)と曰 ひ、蘋藻には則ち「之を盛る」「之を湘る」「之を奠く」(8)に至り、為さざる所無し。亦た其の位弥いよ高き者、其の事亦た弥いよ略するの証なり。又后妃 には河と言ひ、夫人・大夫の妻には澗と言ふ。后妃には洲と言ひ、夫人には沼と言ひ沚と言ひ、大夫の妻には瀕と言ひ潦と言ふ。亦た言の殺なり。且つ蘋蘩薀藻 は渓澗沼沚の毛なり。而して蘩は則ち異なる。故に后妃は蘩を采る。詩伝に以為へらく、「夫人蘩菜を執りて以て祭を助く。神、徳と信とを饗し、求めずして備 はる。沼沚渓澗の草、猶以て薦むべし。后妃は則ち荇菜なり」と(9)。此に拠れば荇菜は蘋蘩よりも厚し。故に曰く、「后妃関雎の徳有り、乃ち能く荇菜を共 し、庶物を備へて以て宗廟に事ふ」と(10)。荇の言は行なり。蘋の言は賓、藻の言は澡、蘩の言は盛。然らば則ち荇菜には采と言ひ芼と言ふ。是れ亦た之を 共するのみ。故に之が祭を成すを教へ、芼るに蘋藻を用ひ、以て婦順を成す(11)。『易』に曰く、「徳に盛(A) と言ひ、礼に恭と言ふ」と(12)。又曰く、「君子は以て徳を成し行を為す」と(13)。然らば則ち后妃荇を采り、夫人蘩を采り、大夫の妻蘋藻を采るに固 に次第有る哉。且つ后妃夫人は一を采り、大夫の妻は二を采り、二にして足る。其の至るに非ざるなり。大夫の妻に許す者は一にして足らず。

    [校記]
(@) 叢書本・五雅本、草に作る。(A) 五雅本、成に作る。

    [注釈]
(1)『爾雅』釈草。
(2)郭璞の注に「水中に叢生し、葉は円く茎端に在り。長短。水に随ひて深浅たり」とある。
(3)『詩経』周南・関雎篇の第二スタンザ、冒頭の二句。
(4)王文公 宋、王安石のこと。陸佃は王安石に師事した。
(5)『顔氏家訓』書証篇にほぼ同文が見える。
(6)『詩経』周南・関雎篇の第五スタンザに「左右之を芼る」とある。
(7)『詩経』召南・采蘩篇の第一、二スタンザの句。
(8)『詩経』召南・采蘋篇の第二スタンザに「于に以て之を盛る」「于に以て之を湘る」、同篇第三スタンザに「于に以て之を奠く」の句がある。
(9)『詩経』召南・采蘩篇の鄭箋。
(10)『詩経』周南・関雎篇の毛伝。
(11)『詩経』召南・采蘋篇の鄭箋に「之が祭を成すを教ふ。牲に魚を用ひ、芼るに蘋藻を用ふ。婦順を成す所以なり」とある。
(12)『周易』繋辞伝上。
(13)『周易』乾。


    [考察]
荇は和名アサザ(学名Nymphoides peltatum)で ある。池や流れの緩やかな河川に生える。和名のアサザは浅いところに生じて咲くことからきている。水底の泥の中を長い地下茎が走り、細長い茎から伸びた葉 は水面に浮かぶ。葉はやや厚みがあり、円形で、基部が裂けている。夏に淡黄色の花を咲かせる。金蓮子の異名がある。陸疏で「葉は紫赤色」とするのは、紫褐 色の葉の裏を言うのだろうか。「葉は蓴(ジュンサイ)に似る」とされ、ジュンサイの葉の裏が赤紫色であることが関係してか、『爾雅翼』ではジュンサイとは 異物であるという議論が述べられている。
『埤雅』は、后妃、夫人、大夫の妻がそれぞれ祭るものについて、『詩経』にもとづいて論じている。まず「菨餘は、詩以て淑女に比すると雖も、…」云々につ いては、関雎篇が「窈窕たる淑女」と謡っていながらも、詩序において后妃の徳を詠んだとされていることによる。「后妃には河と言ひ、…」云々は、后妃を詠 んだとする関雎篇に、「関関たる雎鳩、河の洲に在り」とあり、夫人を詠んだとする采蘩篇に、「于に以て蘩を采る。沼に于てし沚に于てす」「于に以て蘩を采 る。澗の中に于てす」とあり、大夫の妻を詠んだとする采蘋篇に、「于に以て蘋を采る。南澗の濱。于に以て藻を采る。彼の行潦に于てす」とあるからである。 また「后妃夫人は一を采り、…」については、大夫の妻は蘋と藻の二物をとることをいっている。(吉野)
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        【蘋】
 昬義に曰く、「教へ成りて之れを祭る。牲は魚を用ふ。之れ芼るに蘋藻を以てす。婦順を為す所以なり」と(1)。蘋の言は賔なり。藻の言は澡なり。魚亦た 柔巽にして隠伏す。故に此の三者は、昬礼に以て婦順を成す。『韓詩』に曰く、「沈むものを蘋と曰ひ、浮く者を藻と曰ふ」と(2)。蓋し藻は萍(@)の類な り。槐葉に似て連(A)生す。道旁、浅水中、萍と雑はる。秋に至れば則ち紫なり。今俗に之れを馬薸(B)と謂ひ、亦た紫薸と呼ぶ。故に曰ふ、「于に以て藻 を采り、彼の行潦に」と(3)。而して『伝』に云ふ、「藻、聚藻なり」と(4)。『呂覧』に曰く、「菜の美なる者は崑崙の蘋」と(5)。高誘謂ふ、「蘋は 大蘋、水藻なり」と(6)。此れに拠れば、蘋は即ち所謂藻なり。水深く(C)き処に乃ち有り。故に「于に以て蘋を采る。南澗のM」と曰ふなり。先づ「于 に以て蘋を采る、南澗のM」と言ひ、後に「于に以て藻を采る。彼の行潦に」と言ふ。亦た、大夫の妻、徳、隆有りて殺無きを言ふ。『左伝』に曰く、「潢汙行 潦の水、蘋蘩蕰藻の菜、鬼神に薦むべし。王公に羞むべし」と(7)。『淮南子』に曰く「容華は蔈を生じ、蔈は萍藻を生じ、萍藻は浮草を生ず」と(8)。こ れを謂ふか。蓋し蒲藻の藻に非ず、萍藻の藻は浮き、蒲藻の藻は沈む。『草木疏』以為らく、「葉蓬蒿に似て、茎釵股の如くして大なり。之れを聚藻と謂ふ」と (9)は誤れり(D)。按ずるに『顔氏家訓』に云ふ、「莙、牛藻なり。即ち璣(E)の謂ふ所は蓬の如き者なり。郭璞三蒼に注して亦た云ふ、蕰藻の類と」と (10)。則ち明らかに蕰藻に非ず。蕰藻は一名聚藻。蕰は聚なり。藻は水の上に出で、蘋は水の下に出づ。故に大夫の妻これを采る。然り而して、采蘩に「以 て祭祀に奉ずべし」と曰ひ(11)、采蘋に共と言ふ者は、蓋し「于に以て之れを用うる、公侯の宮に」と(12)曰ふは、則ち所謂奉なり。「于に以て之れを 奠む。宗室の牖下」と(13)は、則ち之れを共するのみ。若し然らば「誰か其れ之れを尸る。斉の季女有り」とは祭主なり。蓋し大夫の妻に非ず。『春秋伝』 に曰く、「済沢の阿なり。行燎の蘋藻、諸を宗室に置く。季蘭之れを尸るは敬なり」と(14)。説者以為らく、「季蘭は季女の蘭を佩ぶる者なり。然らば則ち 大夫の妻は教成の祭、蘋藻を共す(F)。是に於いて女の季なる者をして蘭を佩びしめて。主として之れを奉ず。故に伝以為らく季女は微主なり」と。

    [校記]
(@)五雅本、藻蘋に作る。(A)五雅本、運生に作る。(B)五雅本、馬藻に作る。(C)叢書集成本、潔に作る。(D)四庫全書本、五雅本、類に作るが、 叢書集成本により誤に改める。(E)叢書集成本、機に作る。(F)叢書集成本、焉に作る。

    [注釈]
(1)『礼記』昬義。
(2)『韓詩』 前漢、韓嬰の撰。
(3)『詩経』召南・采蘋、第一スタンザ、第三句。
(4)(3)の毛伝。
(5)『呂氏春秋』本味。
(6)(4)の高誘注。
(7)『春秋左氏伝』隠公三年。
(8)『淮南子』墬形訓。
(9)『草木疏』 『毛詩草木鳥獣虫魚疏』のこと。三国陸璣の撰。
(10)『顔氏家訓』書証。
(11)『詩経』召南・采蘩の鄭箋。
(12)『詩経』召南・采蘩、第二スタンザ、第三、第四句。
(13)『詩経』召南・采蘋、第三スタンザ、第一、第二句。
(14)『春秋左氏伝』襄公三年。

    [考察]
 陸佃は、「藻は水の上に出で、蘋は水の下に出づる」としたが、藻の項目では「(藻は)水下に出じ、而して水の上に出づる能はず」としている。これは明か な矛盾である。「藻は水の上に出で、蘋は水の下に出づ」とは本来反対にすべきであり、蘋の本文にある藻の一部は、蘋をさしていると考えられる。
 『詩経植物図鑑』、『詩経草木彙編』は蘋をデンジソウ(Marsilea quadrifolia)としている。これは、『本草綱目』蘋の釈名に田字草とあることに由来している。しかし、その根拠は明確ではない。 陸佃は蘩の項において「蘋藻は之れを上下に采る」としている。さらに「秋に至れば則ち紫なり」とあるので、これはアカウキクサ属(Azolla)の一種で あろう。『植物の世界』によれば、「葉は成長がさかんな夏の間には緑色だが、成長が衰えはじめる冬はあずき色になる」という。ただ、「槐葉に似て連生す」 とあるのはサンショウモ属(Salvinia)植物が近いように思われる。いずれにせよ、これら3つの植物はすべて水生シダ類である。また、ウキクサ科 (Lemnaceae)植物は単子葉植物(ユリ)綱に分けられているが、古代人は、これを水生シダ類と区別することはなかったであろう。ただ、デンジソウ は浮草ではないので、これは蘋にあたらないと思われる。また、『陳蔵器本草』に「水萍に三種有り。大なる者は蘋葉と曰ふ。圓くして闊く、寸許。葉の下に一 點、水沫の如き有り。」とあり、『新修本草』等にも似た記述がみられる。これらは蘋を浮草とみなしている。
 『詩経』や『左伝』の蘋も浮草の類と考えても矛盾はない。水生植物の生活形は主に3つあるが、蘋は浮葉植物に、蕰藻は沈水植物に該当する。『詩経』等に みられる蘩はヨモギ類ではなく、3つめの抽水植物に該当するかもしれない。また、抽水植物は草のなかでは体高があるので、それをみて蒿の類とみなされ転じ てヨモギ類となったのかもしれない。(久保)
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        【藻】
藻は水草の文有る者。水下に生じ、而して水の上に出づる能はず。其の字澡に从ふ。自ら汲ネること澡(@) の如きを言ふなり。『書』に曰く、「藻火粉米」と(1)。藻は其の清に取り、火は其の明に取るなり(2)。『周官』(3)の希冕四章、藻自り下、其の章道 ふに足らざるなり。故に之を希冕と謂ふ。希冕は其の数を言ふなり。玄冕二章、黼自り下、其の数道ふに足らざるなり。故に之を玄冕と謂ふ。玄冕は其の色を言 ふなり。先儒(4)以為へらく、希冕三章、玄冕一章と。是に非ざるなり。「孔子曰く、黼衣黻裳なる者、葷を茹らはず」と(5)。食らふ能はざるに非ざるな り。服然かしむるなり。蓋し玄冕は衣に絵黻し、裳に繍黻す。大祭には則ち王、服するに斉を以てす。故に曰く、葷を茹らはざるなり。中祭より下は則ち玄端を 服す。然らば則ち『礼』に曰く、斉の玄なるは、幽陰を以て思ふなり(6)。玄冕も亦た爾り。特に玄端(A) のみに非ず。『礼』に曰く、「玄冕斉戒」と(7)。『詩』に曰く、「又何もて之に予へん、玄袞及び黼」と(8)。黼は玄冕なり。袞を以て上に挙げ、黼を以 て下に挙ぐ。蓋し言の法なり。此由り之を観れば、玄冕両章は則ち希冕四章なること明らけし。蓋し子男の服、毳冕五章とは、則ち人君の服する所此れに尽く。 人君の服する所毳冕に尽くれば、則ち希冕より下は臣服なり。故に礼、毳冕自り上、章数皆奇を以てし、希冕より下、章数皆偶を以てす。奇は陽なり、偶は陰な り。孔子曰く、「管仲簋に鏤して紘を朱にし、節を山にして梲を藻にす。賢大夫か、而して上と為し難きなり」と(9)。説者以為へらく、藻は其の文に取る と。蓋し藻は特だ其の文に取るを為すのみに非ず、亦た以て火を禳ふ。今屋上の覆橑之を藻井と謂ふは、象を此れに取る。亦た綺井と曰ふ。又之を覆海と謂ひ、 亦た或いは之を罳項と謂ふ。『風俗通』に曰く、「殿堂宮室は東井の形に象り、刻して荷菱を作す」と(10)。荷菱は水草なり。火を厭ふ所以、此れと同義な り。『詩』に曰く、「魚は在り藻に在り、頒たる其の首有り。王は在り鎬に在り、豈楽して酒を飲む」「魚は在り藻に在り、莘たる其の尾有り。王は在り鎬に在 り、酒を飲みて楽豈す」と(11)。蓋し魚の性は藻を食らふ。王者の徳淵泉に至れば、則ち藻茂りて魚肥ゆ。故に頒首莘尾を以て其の性を得たりと為す。『荘 子』に曰く、「之に在る也とは、天下の其の性に淫するを恐るるなり」と(12)。故に三章皆「魚は在り藻に在り」「王は在り鎬に在り」と曰ふなり。且つ周 の興るや、憂勤豊に在れば、其の豈楽鎬に在り。豈楽鎬に在れば、其の嘉楽洛に在り。故に是の詩、正に楽豈を言ふ。蓋し憂ひ釈けて楽を為し、怒り釈けて豈を 為す。『尚書大伝』に曰く、「周書は、泰誓自り召誥に就り、而して洛誥に盛んなり」と(13)。伝に曰く、「士卒鳬藻、其の和睦歓(B) 悦なること鳬の水藻に戯るるが如きを言ふなり」と。或いは言ふ、魚藻は亦た以て其れ此の如しと。

    [校記]
(@) 叢書本、五雅本、藻に作る。(A) 五雅本、玄の上に「為」の字あり。(B) 五雅本、懽に作る。

    [注釈]
(1)『書経』益稷。
(2)『書経』益稷の蔡伝に「藻は水草、其の潔に取るなり。火は其の明に取るなり」とある。
(3)以下は『周礼』春官・司服に関する議論である。
(4)『周礼』に注をした漢の鄭玄。
(5)『荀子』哀公篇。
(6)(7)『礼記』郊特牲。
(8)『詩経』小雅・采菽篇の第一スタンザ、第七、八句。
(9)『礼記』雑記下。『論語』公冶長篇に「山節藻梲」の文がある。
(10)『風俗通』 漢の応劭撰。現在亡逸。
(11)『詩経』小雅・魚藻篇の第一、二スタンザ。
(12)『荘子』在宥篇。
(13)『尚書大伝』 張生・欧陽生らが漢・伏勝の遺説を記録したもの。鄭玄がこれに注して四巻となした。

    [考察]
 藻は「水の上に出づること能はず」とあることから、沈水性の水草であることが分かる。また陸疏によると、藻は二種類あって、一方を「葉は鶏蘇の如くし て、茎の大なること箸の如し。長さ四、五尺」とし、もう一方を「茎の大なること釵股の如く、葉は蓬蒿の如し。之を聚藻と謂ふ」としている。おそらくは前者 が和名クロモ(学名Hydrilla verticillata)、 後者が和名フサモ(学名Myriophyllum verticillatum) あるいは和名マツモ(キンギョモ、学名Ceratophyllum demersum)のようなものであろう。
『書経』の「藻火粉米」とは飾りとして衣服に形を縫いとられたものである。古の天子は日、月、星辰、山、竜、華虫、宗彝、藻、火、粉米、黼、黻の十二物で 衣服を飾ったとされるが、やがて日、月、星辰の三つは旗にのみ使われるようになり、残りの九物が衣服に使われるようになったという。鄭玄は九物を竜、山、 華虫、宗彝、火の画かれる飾り、藻、粉米、黼、黻の縫いとられる飾りとに分け、袞冕、鷩冕、毳冕、希冕、玄冕の五服を飾るものとして、袞冕は上衣に五つ、 下衣に四つの九章、鷩冕は上衣四つ、下衣三つの七章、毳冕は五章、希冕は三章、玄冕一章とした。陸佃はこれに異を唱えているのである。希に縫いとりをした 布の意があることから、希冕には藻、粉米、黼、黻のすべてが飾られているとし、また「黼衣黻裳」が玄冕である根拠をあげて、四章、二章とする説を述べてい る。また孔子が管仲を良しとしないのは、この天子にのみ許された飾りをしているからである。
陸佃は『詩経』魚藻篇を、王の徳によって社会がよく治まっていることを詠った詩と解釈している。『荘子』の言を引き、「魚在り藻に在り」「王は在り鎬(周 の都鎬京の意)に在り」は、世界の自然のままの姿が乱されてないよい状態だというのである。(吉野)
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      【海藻】
 『爾雅』に曰く、「◆[卄+爻+尋]は海藻なり」と(1)。水藻の如くして大なり。髪に似て黒色。深海中に生ず。『陳藏器本草』以為らく、「爾雅のいわ ゆる、綸は綸に似る、組は組に似る。東海に之れ有り。正に二藻と為すなり」と。善く瘤癭を療す。夫れ頚の処険にして癭す。今、汝洛の間に多し。浙右、閩広 は山嶺重阻にして、人之れを病む者鮮なし。按ずるに本草の海藻、昆布、青苔、紫菜は、皆瘤癭、結気を療す。被海の邦、此れを食す。故に能く之(@)れを療 すなり。

    [校記]
(@)叢書集成本、五雅本、此に作る。

    [注釈]
(1)『爾雅』釈草の文。

    [考察]
「髪に似て黒色」とあるから褐藻類(Phaeophyceae)であることはほぼ間違いない。また、「深海中に生ず」とあるが、これは、潮下帯のことを指 していると考えられる。つまり、ヒジキのような潮間帯生の褐藻ではない。『大観本草』所引の『図経本草』海藻の図には2つあり、ひとつはホンダワラ属(Sargassum spp.)のようであるが、特徴である気胞が描かれてい ないようである。もうひとつはケヤリ(Sporochnus scoparius) のようなものが描かれている。また、気胞を記したとおもわれる記述も見当たらない。ただ、陸佃は「水藻の如くして大なり」としており、海藻は潮下帯生のホ ンダワラ科(Sargassaceae)の褐藻と解釈するのが良いであろう。ホンダワラ科は体高数十cm〜数mに成長する。
  「綸は綸に似る、組は組に似る。東海に之れ有り」は『爾雅』釈草にみえる。『本草経集注』昆布において、陶弘景は「今、青苔紫菜、皆綸に似る。此れ昆布、 亦た組に似る。恐らくは即ち是れなり。凡そ海中の菜、皆癭瘤結気を療す」と、同じ漢字でも前者は藻類の名であり、後者は装飾具の名であるという。
  また、「夫れ頚の処險にして癭す」とは、まさにヨード欠乏症(IDD)をさすのであろう。このクレチン症(甲状腺腫)は現代中国においても深刻な社会問題 となっている。(「ヨード欠乏症に対するODAの役割に関する検討」入江実『総研』2001.3) そして褐藻は一般に海水の一万倍という高濃度のヨード を含むという特徴がある(『藻類の多様性と系統』)ため、治療には有効である。 (久保)
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        【蕭】
 蕭は以て祭るべし。故に其の字、肅に从ふ。亦た秋風の蕭を過ぎれば、意象肅然たり。故に蕭、一名荻。其の字、肅に从ふなり。『爾雅』に曰く、「蕭は荻な り」と(1)。蕭は白蒿に似、茎は麤なり。科生、香気有り。故に祭祀に脂を以て之を爇く。『詩』に曰く、「蕭を取り脂を祭る」と(2)。凡そ祭りは、鬯を 灌ぎて諸を陰に求め、蕭を焫きて諸を陽に求め、楽を奏(@) して諸を陰陽の間に求む。故に『礼』に曰く、「声音の号は、詔を天地の間に告ぐる所以なり」と(3)。又曰く、「見るに蕭光を以てし、以て気に報ずるな り。加ふるに鬱鬯を以てし、以て魄に報ずるなり」と(4)。凡そ祭りに鬯を言ふは、常に蕭を先にす。今祭義(5)に鬯を言ふは、更に蕭の後に在り。則ち商 礼を言ふを以ての故なり。蓋し周人は先づ諸を陰に求む。故に先づ鬯を灌ぎ、蕭を湑くは後に在り。商人は先づ諸を陽に求む。故に先づ蕭を焫き、鬯を灌ぐは後 に在り。且つ周は肺を祭り、商は肝を祭る。故に祭義に言ふ、商礼は先づ肝を挙ぐと(6)。所謂肝肺首心を羞むるは是なり。郊特牲に言ふ、周礼は先づ肺を挙 ぐと(7)。所謂肺肝心を祭るは是なり。『詩』に曰く、「冽たる彼の下泉、彼の苞蕭を浸す」と(8)。民は上の恃む所、以て宗廟社稷に事ふ。蕭の象なり。 又曰く、「蓼たる彼の蕭斯、零露湑たり」と(9)。蕭は微物なり。而して其の香、能く上に達す。故に『詩』亦た以て四海の諸侯に況す。蕭は今俗に之を牛尾 蒿と謂ふ。

    [校記]
(@) 五雅本、奉に作る。

    [注釈]
(1)『爾雅』釈草。
(2)『詩経』大雅・生民篇の第七スタンザ、第7句。
(3)『礼記』郊特牲。
(4)(5)(6)『礼記』祭義。
(7)『礼記』郊特牲。
(8)『詩経』曹風・下泉篇の第二スタンザの冒頭二句。
(9)『詩経』小雅・蓼蕭篇の第一スタンザの冒頭二句。

    [考察]
 『楚辞』離騒にも「何ぞ昔日の芳草、今直ちに此の蕭艾と為るや」とある。 陸璣は「或いは云ふ、牛尾蒿、白蒿に似て、白葉、茎麤。科生の多き者は数十茎。燭を作るべし。香気有り」としている。蕭は、芳草であり、白葉とあるのは綿 毛があるためであろう。従って、これはヨモギ属(Artemisia)植物の要素を備えている。レッグは蕭をox tail's southernwoodと呼び(‘The Chinese Classics; C,The She King. Shanghai,1935)、ブレットシュナイダーは「蕭と牛尾蒿という2つのArtemisia(ヨモギ属)らしき植物を、Ch.[Z,23]が描い ている」としている。『詩経植物図鑑』ではA. subdigitata に 同定している。
 一名、荻とあることから考えると、蕭および牛尾蒿は、ススキ属(Miscanthus)あるいはその近縁属ではなかろうか。ススキが秋風になびく風景 は、まさに秋を象徴するものである。牛尾蒿の牛尾は穂状花序を、蒿は草丈の高いことをあらわしていると考えることができる。(久保)
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        【蔆】
 『爾雅』に曰く、「蔆は蕨攗なり」と(1)。其の葉荇に似て、白華。実に紫角あて、人を刺す。食らふべし。一名、芰。「屈到、芰を嗜む」とは即ち此れ是 れ也(2)。亦た薢茩と名づく。『説文』に云ふ、「楚之れを芰と謂ひ、秦之れを薢茩と謂ふ」と(3)。今俗に但だ蔆芰と言ふ。諸れ朱書を盗みて(@)、亦 た分別せず。惟だ『武陵記』に云ふ、「四角三角を芰と曰ひ、両角を蔆と曰ふ」と(4)。其の花紫色にして、昼に合ひ、宵に炕す。月に随ひ転移す。猶、葵の 日に随ふがごとし。旧(A)説に、鏡之れを蔆華と謂ふは、其の面平らかにして光影の成る所を以て此くの如し。庾信の『鏡賦』に云ふ、「壁に照らして蔆華自 ら生ず」(5)とは、是れ也。

    [校記]
(@)叢書集成本、盗朱書を草木書に作る。珍本叢刊本、本草書に作る。(A)四庫全書本、五雅本、羣に作るが、旧に改めた。

    [注釈]
(1)『爾雅』釈草。
(2)『国語』楚語上。屈到は、春秋時代の楚、屈建(子木)の父。
(3)『説文解字』第一篇下。
(4)『武陵記』未詳。
(5)『庾信鏡賦』、『藝文類聚』服飾部下、鏡に「周庾信鏡賦曰」とあるが、「水に臨めば則ち池中に月出で、日に照らせば則ち壁上に菱生ず」とある。

    [考察]
 『政和本草』所引の『図経本草』の芰実図は、明らかにヒシを描いている。さらに「芰、菱実なり。旧、出づる所の州土を著せず。今、処処に之れ有り。葉、 水上に浮く。花、黄白色。花落ちて実生じ、漸く水中に向きて、乃ち熟す。実、二種有り。一種は四角。一種は両角。両角中に、又嫩皮にして紫色の者有り。之 れを浮菱と謂ふ」と、果実の形態に注目している。ヒシ科(Trapaceae)はヒシ属(Trapa)のみからなり世界に30種という(『植物分類学の基 礎』)が、朝日百科『植物の世界』では、現在でも新種・新変種が報告されているとある。属内の分類は果実の形態を最も重要な特徴とし、大きさが小、中、大 型に分け、とげの数が4本か2本かで分けるという。しかし、属内分類は未だ確立されていないようなので、ここでは広義のヒシとしてTrapa natansを挙げておく。
 ヒシ属は一般に白色の花をつけるので「白華」とあるのはよいのだが、「其の花紫色にして」とあるのは、他の植物と混同しているのだろうか。あるいは、紫 色の花をつけるものもあるのだろうか。さらに、(花が)昼に閉じ夜に開き、月に随って転移するとあるが、これはヒシにおける習性ではない。(久保)
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        【虞蓼】
此れ即ち蓼の水沢に生ずる者なり。蓼に似、茎赤く、味辛し。一名、薔。『爾雅』に曰く、「薔は虞蓼なり」(1)とは是なり。『詩』に曰く、「其の鎛斯れ 趙、以て荼蓼を薅く」と(2)。荼は陸草なり。蓼は水草なり。以て荼蓼を薅くとは、則ち高下治まらざる所無く、且つ暑雨に因りて之を化せば、則ち草復た生 ぜずして地美なり。蓋し特に草の害を去るのみに非ず、亦た以て其の田疇を醲にす。故に荼蓼朽止し、是に於いて黍稷茂止するなり(3)。月令に、「季夏焼薙 す。水利を行ひ以て草を殺す。如し熱湯を以てすれば、以て田疇を糞すべく、以て土疆を美にすべし」(4)とは此れの謂ひなり。『詩』に曰く、「未だ家の多 難に堪へず、予又蓼に集まる」と(5)。成王初め管蔡に惑ひて周公を疑ふ。四国の乱、幾んど王室を毀たんとす。則ち嘗て蓼に集まれり。悟りて後患をむ。 故に曰く、「未だ家の多難に堪へず、予又蓼に集まる」と。予又蓼に集まるとは、辛苦を言ふなり。『離騒』に曰く、「蓼虫葵藿に従ふ能はず」と(6)。則ち 葵藿は甘く、而して蓼は苦きが故なり。『呉越春秋』に曰く、「越王呉の怨みに復せんことを念ひ、臥しては則ち之を切するに蓼を以てし、冬には則ち冰を抱 き、夏には則ち火に附く」と(7)。其の志を刻すること此くの如きを言ふ。

    [注釈]
(1)『爾雅』釈草。
(2)『詩経』周頌・良耜篇の第九、十句。
(3)『詩経』周頌・良耜篇の第十一、十二句に「荼蓼朽止、黍稷茂止」とある。
(4)『礼記』月令。
(5)『詩経』周頌・小篇の第六、七句。
(6)『離騒』戦国、屈原の作。『楚辞』に収める。「蓼虫葵菜に徙るを知らず」とある。
(7)『呉越春秋』後漢、趙U撰。「越王呉の怨みに復せんことを念ひ、…、臥しては則ち之を攻するに蓼を以てし、寒なれば則ち之を漬くに水を以てし、冬は 常に冰を抱き、夏還れば火を握る」とある。

    [考察]
 虞蓼は和名ヤナギタデ(中国名水蓼、学名Polygonum  hydropiper)である。ヤナギタデはその辛さから、ことわざ「蓼食う虫も好き好き」の語源となった草である。茎は紫紅色で、柳のよ うな細い葉をつけ、夏から秋にかけて白っぽい小さな花を咲かせる。湿地や水辺に生え、水の中でも発芽し、光合成できる。この他にも中国にはイヌタデ(中国 名仮長尾蓼、学名P.longisetum)、サナエタデ(中国名 酸模葉蓼、学名P.lapathifolium)、ハルタデ(中国 名桃葉蓼、学名P.persicaria)などの種類が湿地や農耕 地に生えているのを見かけられる。蓼といったとき、広義にはこれらの種を含んでいたと思われる。『爾雅翼』には蓼は種類の多いものとして、紫蓼、赤蓼、青 蓼、馬蓼、水蓼、香蓼、木蓼があげられている。蓼はその味から辛苦の喩えとして、『詩経』の小篇に用いられているが、『呉越春秋』では、その味ではなく 3o程度の3稜形をした実が辛苦を味わわせるものとして使われている。(吉野)
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        【巻耳】
 『爾雅』に曰く、「菤耳(@)、苓耳なり」と。(1)『広雅』に曰く、「即ち枲耳なり」(2)と。幽州の人之れを爵耳と謂ふ(3)。或いは曰く、「形、 鼠耳に似る。故に耳の号有り」と(4)。或いは曰く、「白華、細茎。子は婦人の耳璫の如し。故に名づくと云ふ」と。『荊楚記』に曰く、「巻耳、一名璫草」 と(5)。亦た云ふ、「蒼耳は叢生して盤の如し。今人葉を以て麦を覆ひ、黄衣と作す者、所在に之れ有り」と。『詩』に曰く、「巻耳を采り采る。頃筐に盈た ず。嗟我人を懐ひて、彼の周行にゥく」と(6)。言ふこころは、后妃是の器を持ち、是の物を采りて、而も満たず。則ち志彼に在りて、此に在らざるを以てな り。問ふ者曰く、「后妃は貴し。今、巻耳を采ると曰ふは何ぞや」と。曰く、是れ詩なり。是の謂ひに非ざる也。詩人此れを借りて以て后妃の志を写すのみ。故 に曰く、詩を説く者は文を以て詞を害さず、詞を以て意(A)を害さず、意を以て志に逆らふ、是れ之を得たりと為す。『荀子』に曰く、「頃筐は満ち易きな り。巻耳は得易き也。然り而して以て周行を貳にすべからず」と。昔、秦の穆公、伯楽に謂ひて曰く、「子の姓に馬を求めしむるべき者有りや」と。伯楽対へて 曰く、「良馬は、筋骨の相を形容すべきなり。天下の馬、滅する若く、没する若く、亡ぶ若く、失ふ若し。九方皐有り。此れ其の馬に於けるや臣の下に非ざるな り」と。穆公行きて馬を求め使む。三月にして反り、報じて曰く、「已に之を得たり」と。穆公曰く、「何の馬なるや」と。對へて曰く「牝にして黄なり」と。 人をして往きて之を取らしむ。牡にして驪なり。穆公説ばず。伯楽を召して之に謂ひて曰く、「敗れたり。子が馬を求め使む所の者は牝牡を物色して、尚ほ知る こと能(B)はず。又、何ぞ馬を之れ能く知らんやと」と。伯楽、喟然として太(C)息して曰く、「一に此に至れるか。是れ乃ち其の千万の臣にして無数なる 所以の者なり。皐の観る所の若きは、天機なり。其の精を得て、其の麤を忘れ、其の内に在りて、其の外を忘る。皐の相するが若きは、乃ち馬より貴き者有るな り。馬至るに、果して天下の馬なり」と。然らば則ち、善く書を読む者、九方皐の馬を相するが若くして可なり(7)。旧説に、千嵗(D)の亀、蓮葉に巣く ひ、巻耳の上に游ぶ。

    [校記]
(@)五雅本、叢書集成本、巻に作る。(A)叢書集成本、志に作る。(B)五雅本、未に作る。(C)五雅本、叢書集成本、大に作る。(D)叢書集成本、歳 に作る。

    [注釈]
(1)『爾雅』釈草。
(2)『広雅』釈草。
(3)『政和本草』所引の『図経本草』耳実に「鄭康成謂ふ、是れ白胡荽なり。幽州の人呼びて爵耳と為す」とある。
(4)『広雅』釈草。
(5)『荊楚記』守谷美都雄訳注『荊楚歳事記』(平凡社)にはみえない。本書によれば、『荊楚記』は『荊楚歳事記』と推定されるという。
(6)『詩経』周南・巻耳、第一スタンザ、冒頭二句。
(7)『荀子』解蔽。

    [考察]
 巻耳は、蒼耳、苓耳、枲耳、耳、璫草など多くの異名があるが、特に際立った差はなく、どれも同一とみなして良いだろう。とくに果実の形状が耳飾りに似 ていることから名付けられたものが多い。これらは従来からオナモミ(Xanthium sibiricum)とされてきた。『政和本草』所引の『図経本草』耳実の図は、確かにオナモミの果実(痩果)や葉の特徴をよく表してい る。宋代にはこれをオナモミと断定できる。しかし、『日本の野生植物』によれば、オナモミ属(Xanthium)は世界に25種近くあり、広い分布をもっ ているという。また、果実の形状もお互いに似ているので、厳密には巻耳はオナモミ属(Xanthium spp.)植物とした方が良いかもしれない。
 一方、本文の「苓耳、形鼠耳に似る。故に耳の号有り」としている部分があるが、これはこれらはオナモミ属の特徴とは言えないであろう。また、『詩疏』に も「陸璣云ふ、…白華、細茎、蔓生…」と、巻耳が蔓生であるとしている部分があり、これもオナモミ属とは異なると考えられる特徴を記している。蔓生とする 記述については、『図経本草』に「蔓生と作さず」とあり、蔓生を否定しているが、宋代以前では別の植物も含まれていた可能性もある。
 陶弘景は「一名、羊負来。昔、中国に此れ無し。外国従り羊毛中に逐ひて来たるを言ふ」としている。おそらく帰化植物であるということをいったのであろ う。帰化の経緯については2つの説がある。『斉民要術校釈』は、これを左のようにまとめている。
 『藝文類聚』所引の『博物志』には、本来、蜀には無かった植物だが、洛陽から羊を連れて来る者が羊の毛にこの果実がついていたため、広まったとしてい る。しかし、今本の『博物志』には、この記述が見えないとしている。一方、『図経本草』は、もともとは蜀中にあったものが洛陽などに根付いたとする説を記 している。(久保)
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        【萑】
『爾雅』に曰く、「萑は蓷」(1)。茺蔚なり。葉の形は荏に似、方茎白華、節間に生ず。鶏冠子の如し。黒色にして細長、三稜あり。一名、蔚臭。劉歆云ふ、 「萑は臭穢なり」(2)とは是なり。一名、益母。故に曽子益母を見て悲しむなり(3)。一名、蓷。『詩』に曰く、「中谷蓷有り、暵として其れ乾く」と (4)。旱乾を暵と曰ふ。蓷は暵能ふるの草なり。今曰く、「暵として其れ乾く」と。則ち一日の亢に非ざるなり。故に序に以為へらく、凶年飢饉、室家相棄つ るのみと(5)。

    [注釈]
(1)『爾雅』釈草。「茺蔚なり。…節間に生ず」まで郭璞の注にほぼ同文が見られる。
(2)劉歆 前漢の学者。著に『七略』がある。
(3)曽子 曽参。親孝行で有名。『孝経』を著す。『詩経』王風・中谷有蓷篇の疏に「曽子、益母を見て感ず」とある。
(4)『詩経』王風・中谷有蓷篇の第一スタンザ、冒頭の二句。
(5)『詩経』王風・中谷有蓷篇の小序の文。

    [考察]
 萑は和名メハジキ(学名Leonurus heterophylus) である。日当たりのよい山野や道端などに生える。シソ科の植物であり、根に近い部分の葉は卵円形でシソの葉に似るが、越冬して茎がのび、花の咲く頃には枯 れてしまう。葉の形を荏(和名エゴマ、学名Perilla frutescens。 シソ科の植物)に似るとするのはこれを言っているのだろう。茎につく葉は対生し、細長で三つに分かれている。茎は四角形である。夏になると葉のつけ根ごと に数個に小さな淡い紫紅色の花を咲かせる。このことを「節間に生ず」と言っている。花には白色のものもある。異名の益母は婦人病に効能があることから名づ けられたとされる。臭穢の名について、エゴマには不快な臭気があることが知られており、これと混同している可能性が考えられる。エゴマの茎も方形で、葉腋 から白い花を咲かせるなど、記述との一致が見られる。他にも火杴、益明、野天麻、夏枯草などの異名がある。種子ができるといっせいに枯れるので夏枯草とい う。このことから『詩』はメハジキの枯れる様子を女性の離別の不孝として解釈されることがある。陸佃は萑を日照りに強い植物として旱害の象徴としてとらえ ているようだ。(吉野)
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        【芥】
 芥、菘に似て毛有り。其の子粟(@)の如し。伝に曰く、「磁石針を引き、琥珀芥を拾ふ」と。即ち此れ是れなり。或は曰く、「草之れを芥と謂ふ」と。琥珀 の脅する所を草と謂ふのみ。故に『類従』以為らく、「琥珀、脅草なり」と(1)。『方言』に曰く、「蘇、芥なり」と(2)。江淮、南楚の間、蘇と曰ふ。関 自り西、或は草と曰ひ、或は芥と曰ふと。『孟子』に曰く、「君の臣を視ること手足の如ければ、則ち臣君を視ること腹心の如し。君の臣を視ること土芥の如け れば、則ち臣君を視ること宼讎の如し」と(3)。手足之れを有するなり、土芥之れを曼するなり。芥、辛菜なり。今人梅を望みて津を生ず、芥を食して涙を墮 とす。此れ五液の外より至るなり。慕ひて涎を垂れ、愧ぢて汗を発す。此れ五液の内より至るなり。『化書』に曰く、「琥珀、腐芥を呼ぶこと能はず」と (4)。蓋し芥腐れば、琥珀と雖も呼ぶこと能はず。故に同気相求むるなり。乾の二五、利有り。二五皆竜の徳の故なり。『本草経』に曰く、「万物の性を尋ぬ れば、皆離合あり。虎嘯けば風生じ、竜吟すれば雲起こる。磁石、針を引き、琥珀、芥を拾ふ。漆蟹を得て散じ、麻漆を得て、湧く。桂葱を得て軟かく、樹桂を 得て枯る。戎塩、卵を累ね、獺膽、盃を分かつ。其の気爽にして、相関感する有り。此の如き類多し。其の理得て思ふべからず」と(5)。

    [校記]
(@)五雅本、栗に作る。

    [注釈]
(1)『類従』今本の『芸文類聚』にはみえない。
(2)『方言』第三巻、『方言』は漢、揚雄の著。
(3)『孟子』離婁章。
(4)『化書』琥珀、『化書』は南唐、譚峭の著。
(5)『本草経集注』序録、薬不宜入湯酒者。ただし敦煌本『本草経集注』には「戎塩、卵を累ね、獺膽、盃を分かつ」が脱しているという相違がみられる。一 方、『証類本草』が「得て之れを思ふべからず」としているの対し、「得て思ふべからず」と之が脱している点は、敦煌本と共通している。(『本草経集注』人 民衛生出版社)
また、『周易』乾の注にも「磁石、針を引き、琥珀、芥を拾ふ」とみえる。   

    [考察]
 本草諸本における芥の記載は複雑である。『本草経集注』果菜米穀有名無実には、菜部薬物上品に「芥、味辛く、温、無毒…菘に似て有毛有り。味は辣」とあ り、また有名無実類薬物草木類に「芥、味苦く、寒、無毒…一名梨、葉大青の如し」及び「石濡…一名石芥」がある。『新修本草』では「謹みて按ずるに此れ芥 に三種有り」としている。『政和本草』所引の『図経本草』では「芥、旧出づる所の州土を著せず。今処処に之れ有り、菘に似て毛有り、味極めて辛辣、此れ所 謂青芥なり。芥の種亦た多し。紫芥有り…白芥有り…其れ南芥、旋芥、花芥、石芥の類を余す…大抵南土に芥多し。亦た菘の類の如し」と極めて種類が多く、書 ききれないといった感がある。芥はこの種類の多さによって、「草之れを芥と謂ふ」というように雑草の総称へと転じたのかもしれない。
『漢語大詞典』の芥をみると、あくまで草の類であって他の意味は見当たらない。ちり、あくたの意味は日本固有なのであろうか。
前出の『図経本草』によれば「菘に似て毛有る」ものは青芥をさすという。『埤雅』の芥はカラシナ(Brassica juncea)の類であろう。カラシナの種子は径約 1.5mm(『牧野和漢薬草大図鑑』)、アワの種子の大きさに近い。前出の『図経本草』に載せられた蜀州芥の附図もカラシナとみなすことができる。「芥を 食して涙を墮とす」はアブラナ科植物にみられる特有の香気成分を指すのだろう。 (久保)
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        【芡】
芡の葉は荷に似て大なり。其の上に数十の蹙衂沸梂の如き有り。生まれながらにして芒刺有り。其の中に米有り、以て飢えを済ふべし。伝に云ふ、蓮は芡の属。 橐韜有り。一名、鶏頭。蓋し其の蓬鐏鶏首に似たり。故に鶏頭と曰ふ。一名、鶏壅。『荘子』に曰く、「薬なり。其の実は菫なり。桔梗なり。鶏壅なり。豕零な り。是の時帝と為る者なり」と(1)。此れ貴賎事を更むるを言ふなり。其の須ふる所に当たりては則ち貴し。用ふると雖も緩ければ則ち菫賎し。豈常なること 有らんや。俗に云ふ、荷華は日に舒び夜に斂む。芡華は昼に合し宵に炕す。此れ陰陽の異なり。『方言』に曰く、「北燕之を芡と謂ひ、青徐淮泗の間之を◆[卄 +役]と謂ひ、南楚江淮の間之を鶏頭と謂ひ、或いは之を雁頭と謂ふ」と(2)。状蓋し禽鳥の首に似たり。故に博く以て之に名づく。周官籩人に、籩に加ふる の実は、菱芡栗脯と(3)。菱芡は之を水に取り、栗脯は之を陸に取る。所謂籩豆の実は、水陸の品なり。

    [注釈]
(1)『荘子』徐無鬼篇。
(2)『方言』巻三。
(3)『周礼』天官・籩人。

    [考察]
 芡は和名オニバス(スイレン科、学名Euryal falox) である。1年生の水草であり、水面に直径二m以上にもなる巨大な葉を広げる。葉の表面はでこぼことした皺があり、体表とともにとげに被われている。果実は 水滴のような半球形で、やはりとげに被われている。別名の鶏頭はこの果実の形に由来するものと考えられる。夏になると赤紫色の花を咲かせ、『埤雅』の記述 とは異なり、花は昼に開き夜になると閉じる。種子は直径1pぐらいの球形で黒色、デンプンを多く含み食用とされる。若い葉や茎も食用となる。『周礼』より 春秋時代にはすでに種子が食に饗されていたと知ることができるが、また、6世紀前半に成立した『斉民要術』には栽培について記載されている。種子は生薬と して今も使用されている。『荘子』の言は、物を用いるにあたっては適切な時があり、常に一定ではないことを言わんとしている。(吉野)
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