【鷓鴣】

鷓鴣は自ら其の名を呼ぶ。常に日に向ひて飛ぶ(1)。飛びて数ば月に随ふ。蓋し正月の如きは一飛して止む(2)。霜露を畏れ、早(ⅰ)(ⅱ)出づること稀なり。時有りて夜に飛ぶ。飛べば則ち木(ⅲ)葉を以て自ら其の背を覆ふ(3)。古牋に云ふ、偃鼠は河に飲むも腹を満たして止み(4)、鷓鴣は葉を銜ふるも才かに能く身を覆ふとは、此れの謂ひなり。臆前に白円点文有り、多く対ひて啼く、志は常に南に嚮ひ、北に徂くを思はず(5)。『南越志』の所謂、「鷓鴣は東西に回翔すと雖も、然れども開翅の始め必ず先づ南に翥ぶ」(6)とは、亦胡馬は北に嘶くの義なり。『本草』に曰く、「鷓鴣は形は母雞(ⅳ)に似たり。鳴きて鉤輈格磔と云ふ」と(7)。『嶺表異録』に云ふ、「肉は白くして脆なり。味は雞(ⅴ)雉に勝る」と(8)

 

[校記]

(ⅰ)五雅本、叢書本、蚤に作る。(ⅱ)五雅本、曉に作る。(ⅲ)五雅本、禾に作る。(ⅳ)(ⅴ)五雅本、鶏に作る。

 

[注釈]

(1)『古今注』 三巻。晋・崔豹撰。鳥獣に「鳴きて常に自ら呼ぶ。常に日に向ひて飛ぶ」とある。

(2)『酉陽雑俎』続集・支動に「飛びて数月を逐ふ。正月の如きは一飛して止む」とある。

(3)『古今注』鳥獣に「霜露を畏れ、早晩出づること稀なり。時有りて夜に飛ぶ。夜飛べば則ち樹葉を以て其の背上を覆ふ」とある。

(4)『荘子』逍遥遊に「鷦鷯は深林に巣くふも一枝に過ぎず、偃鼠は河に飲むも腹を満たすに過ぎず」とある。鷦鷯はミソサザイ、偃鼠はモグラのこと。『荘子』の言は分を超えたことはしないの意。

(5)『異物志』 (2)が引く『交州異物志』に「其の志は南を懐ひ、北に徂かず」とある。『北戸録』(三巻。唐・段公路撰)に「多く対ひて啼く」とある。

(6)『南越志』 沈懐遠撰。

(7)『本草』 『本草綱目』禽部・鷓鴣の集解に唐・孔志約の文を引用したものとしてある。孔志約は『新修本草』の編纂に参加し、『本草音義』を著した人物である。

(8)『嶺表異録』 この文は『本草綱目』禽部・鷓鴣の集解に見られる。

 

[考察]

鷓鴣zheguは学名Francolinus pintadeanus、和名はシャコ、特にコモンシャコと呼ばれる種と考えられる。異名として越雉・懐南・逐影・樢などがある。体長約30センチ、外観はウズラに似ており、『本草』が雌鶏に似ているというのもうなずける。「臆前に白円、点文有り」とあるように、栗色の身体に白・黒の小さな斑紋が散らばっている。鷓鴣は福建・広東から貴州南部・雲南と中国南方に広く生息している。「志は常に南に嚮ひ、北に徂くを思はず」とは、鷓鴣の産地が南方であるため、南方に望郷の念を抱くと考えたものだろう。『南越志』の「必ず先ず南に翥ぶ」も同様と考えられる。

「鷓鴣は自ら其の名を呼ぶ」とは、鷓鴣の音が鳴き声を表していることを言うのだろう。鷓鴣は中古音でt{発音記号shes}ia-koである。鷓鴣の鳴き声は『中国動物図譜』ではkee-kee-kee-karr-と、『中国経済動物志』ではhee-hee-hee-ga-gaと表記されている。鳴き声について『本草』の集解には、前述の「鉤輈格磔」のほかに、俗言として「行不得也哥哥」と鳴くとある。宋・劉学箕などの詩人はこの行不得也哥哥を詩の中に取り入れており、旅路の困難なことを示すのに用いられた。今は「十二両平平」と自分の体重を言うとされている(『中国動物図譜‐鳥類』)。また「多く対ひて啼く」とあるが、一羽が鳴きはじめると近くにいるものもすぐにこれに加わるというシャコの習性(『アニマルライフ』)に合致するものである。

シャコは表面をほじくりやすい農耕地で餌をとることがあり、主に早朝と夕方に集中して餌をとる(『アニマルライフ』)。「早晩出づること稀なり」とあるのは餌をとる姿が観察されたためだろう。

「時有りて夜に飛ぶ。飛べば則ち木葉を以て自ら其の背を覆ふ」とは、シャコの地上で生活し樹上で眠るという習性を指していると考えられるが、陸佃は『荘子』の言を引き、シャコの慎み深さを指していると考えている。(吉野)

 

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