【鳬】(ⅰ)

釈鳥に曰く、「{爾+鳥}は沈鳬なり」と(1)。沈鳬は没するを好む。大小は鴨の如し。青色長尾にして、背上に文有り。卑脚短喙にして、水鳥の謹愿なる者なり(2)。『荘子』に曰く、「鳬の脛は短しと雖も、之を続がば則ち憂へん。鶴の脛は長しと雖も、之を断たば則ち悲しまん」と(3)。此れ生理至つて足り、欠くる無く餘り無く、自ら長きは増す所に非ず、自ら短きは損する所に非ざるを言ふなり。『詩』に曰く、「女曰く鶏鳴、士曰く昧旦。子興きて夜を視よ、明星爛たる有り。将た翺し将た翔す、鳬と鴈とを弋せん」と(4)。明星爛たる有りとは、小星已に見えざるを言ふなり(5)。故に是の時に於いて相警するに夙興を以てするなり(6)。蓋し鳬鴈は常に晨を以て飛ぶ。故に是の詩此くの如し。賦に「晨鳬旦に至る」(7)と曰ふは、此れの謂ひなり。亦た其れ弋すれど宿を射ず(8)とは、好徳と為す所以なり。又、鳬の性は愨謹、鴈は行列有りて乱れず、故に徳を説ばざるを刺るの詩(9)、楽は正に琴瑟を言ひ、礼は正に鳬鴈を言ひ、微を以て之を切するのみ。又曰く、「弋して言に之を加へ、子と之を宜しとせん」と(10)。加は「元鶴加へ、双鶤を加ふ」の加と同意。蓋し弱弓微矢、風に乗じて之を振るふを弋と曰ふ。故に楚人好く弱弓微矢を以て之を帰鴈の上に加ふ。『楚辞』に曰く、「寧ろ昂昂として千里の駒の若くならんか、将た汜汜として水中の鳬の若くならんか」と(11)。蓋し沈鳬は善く没す。而して又容与して波と上下す。故に昔の散人焉を慕ふ。


[校記]

(ⅰ)叢書本は鳧に作る。以下同じ。

[注釈]

(1)『爾雅』釈鳥の文。

(2)陸璣『毛詩草木鳥獣虫魚疏』(四庫全書本)に「鳬は大小鴨の如し。青色、卑脚、短喙、水鳥の謹(ママ)なる者なり」とある。

()『荘子』駢拇篇。

(4)『詩経』国風・鄭風・女曰鶏鳴篇の第一スタンザ。

(5)「小星已に見えざるを言ふなり」は毛伝に見える文。

(6)鄭箋に「此れ夫婦相警するに夙興を以てす」とある。

(7)左思の蜀都賦に「晨鳬旦に至り、候雁蘆を銜む」とある。

(8)『論語』述而篇に「弋すれども宿を射ず」とある。孔子は矢で鳥を狩猟しても、決してねぐらに入っている鳥は狙わなかったという。

(9)女曰鶏鳴篇の序に「徳を説ばざるを刺るなり」とある。

(10)女曰鶏鳴篇の第二スタンザの冒頭の二句。

(11)『楚辞』卜居の句。ただし『楚辞』の原文では汜汜を氾氾に作る。


[考察]

 鳬(鳧の異体字)と鴨はともに「かも」と訓じられるが、前者がカモ、後者はアヒルである。『埤雅』は鶩(アヒル)を別項に立てている。

 カモの種類にカルガモ、コガモ、トモエガモ、ヨシガモ、オナガガモなどがあるが、鳬はAnas platyrhynchos(中国名緑頭鴨、和名マガモ)に同定されている(リード、1932)。体長は約60センチ。雄は頭と首が青緑色で、首の下に白い輪がある。翼は藍紫色、尾羽は白色である。本文に「大きさは鴨ぐらい、青色で、尾は長く、背に文様がある」とあるところから、その同定は妥当と思われる。鴨(アヒル)はマガモを家禽化したものである。異名の一つである沈鳬は逆立ちして潜って餌を採る習性をとらえたもの。

 本文で鳬の性が謹愿とか愨謹(きまじめで、慎み深い)とあるが、群生しながらきちんとした乱れぬ行動をすることを言ったのであろうか。陸佃はこの性質を『詩経』の解釈に取り入れ、女曰鶏鳴篇は、鳬や雁のようなきちんとした行動にならうようにと、夫婦が戒める詩と見た。色に耽らないで徳を尊ぶべしとする儒教的解釈を補完する説に変わりはない。(加納)


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