【鷖】

鷖は鳬の属にして蒼黒色なり。鳬は没するを好み、鷖は浮かぶを好む。故に鷖は一名漚。『列子』に曰く、「漚鳥の至る者、百住()にして止まらず」と()。今字鳥に从ふは、後人之を加ふるなり。鳬鷖は水に安楽する者なり。故に『詩』以て「神祇祖考、之を安楽する」の譬と為す()。而して『周官』に、王后の安車は鷖総()なりと()。『詩』に曰く、「鳬鷖涇に在り、公尸来り燕し来り寧んず」「公尸燕飲し、福禄来り成す」「鳬鷖沙に在り、公尸来り燕し来り宜しとす」「公尸燕飲し、福禄来り為く」と()。来り成すは祖を以て福禄を言ふなり。来り為くは考を以て福禄を言ふなり。『伝』に曰く、「来り為くは厚く孝子を為く」を言ふと()。則ち其れ考を為くこと知るべし。又曰く、「鳬鷖渚に在り、公尸来り燕し来り処る」「公尸燕飲し、福禄来り下る」「鳬鷖潨に在り。公尸来り燕し来り宗ぶ」「公尸燕飲し、福禄来り崇む」と()。来り下るは天神を以て福禄を言ふなり。来り崇むは地示を以て福禄を言ふなり。蓋し天故より上自り来り下る。地故より卑自り来り崇む。亦其れ天道は貴高を主り、地事は富崇を主るが故なり。祖に於いて曰く、「爾の酒既に清く、爾の殽()既に馨る」と()。考に於いて曰く、「爾の酒既に多く、爾の殽既に嘉し」と()。則ち宗廟文を尚ぶを以ての故なり。郊丘は則ち質を貴ぶのみ。故に曰く、「爾の酒既に湑し、爾の殽伊れ脯なり」と()。其の卒章は則ち又上の四章を総()ぶるの詞なり。故に曰く、「公尸燕飲し、後艱有ること無し」と(10)。後艱有ること無き者は道なり。蓋し道の至るは以て神を祐くべし。物に資するに非ざるなり。孰れか能く之を福禄せんや。故に福禄に於いて道ふに足らずと為すなり。『蒼頡解詁』に曰く、「鷖は鷗なり。今鷗、一名水鴞。形色白鴿に似て羣飛す」と(11)。『風土記』に曰く、「鷖は、鷖なり。名を以て自ら呼ぶ。大なること小雞()の如く、荷葉の上に生ず」と(12)

[校記]

(ⅰ)叢書本・五雅本、往に作る。(ⅱ)叢書本、揔に作る。(ⅲ)叢書本・五雅本、餚に作る。以下同じ。(ⅳ)叢書本、揔に作る。(ⅴ)五雅本、鶏に作る。

[注釈]

(1)『列子』黄帝。『列子』では百往を百住に作る。

(2)『詩経』大雅・生民之什・鷖の序に「神祇祖考、之を安楽するなり」とある。神・祇・祖・孝は、天の神・地の神・死んだ祖父・亡父である。

(3)『周礼』春官・巾車に「王后の五路、(…)安車、彫面鷖総なり」とある。安車とは、老人や婦人が使用する座乗する車である。鷖総とは、青黒色の絹である。

(4)『詩経』大雅・生民之什・鷖。公尸とは、神の変わりをするもの、すなわち形代である。

(5)『詩経』大雅・生民之什・鷖の毛伝。「厚く孝子を為く」が毛伝の文。

(6)(7)(8)(9)(10)『詩経』大雅・生民之什・鳬鷖。

(11)『蒼頡解詁』 『蒼頡篇』は秦・李斯撰。古代の字書名。『蒼頡解詁』は郭璞がこれに注釈したもの。

(12)『風土記』 晋・周処の撰。


[考察]

 にはユリカモメ(学名Larus ridibundus 中国名紅嘴鴎hong zui ou)を当てることがある。ユリカモメはセグロカモメ(学名Larus argentatus 中国名銀鴎)などの多くのカモメ種と同じように腹面が白く、背面や翼が灰色である。灰色といっても幅広く、黒色に近いものもいる。「は鳬の属にして蒼黒色なり」とあるが、ユリカモメの翼の色は淡い青灰色、蒼黒色というには色が淡すぎる。セグロカモメはもう少し暗い色をしている。ユリカモメは夏に首から頭にかけて黒い毛が生える。このことを指して蒼黒色と言っているのだろうか。

 「鳬の属」とあるが、実際にはカモメ類はチドリ目カモメ科、カモ類はカモ目である。外見は似通っていても、分類学上はシギの方がカモメに近い。日本でも、鴨妻と書くことがあり、形状がカモに似て、少し小さいことからと名づけられたという説がある(『世界大博物図鑑・鳥類』)。

 の形状に関しては、他に「形色白鴿に似て羣飛す」とある。白鴿について詳しくは不明だが、白っぽいハトであろう。色はまだしも、姿が似ているとは思われない。「羣飛す」について、カモメ類は集団で営巣し、繁殖期以外も群をなして行動することが知られている。『列子』の「百住」とは「百数」であり、数の多いことを指している。これもカモメが群をなすことを言っている。

 「鳬は没するを好み、は浮かぶを好む」とは、その採食方法が関係しているのだろう。カモメは泳ぎもうまく、時には水面を漂いながら眠ることもあるが、これはカモも同じである。しかしその採食方法は、カモ類が水に潜って餌を採ることがあるのに対し、カモメ類は海面に浮かんできた魚をついばんだり、空中から飛び込んで捕食したりと、潜水することはほとんどない。「は、一名」とは、に泡の意味があり、泡は浮かぶものであるからだと陸佃は考えている。

 『詩経』の鳧鷖篇は、先祖や神を祭る酒宴の場面を歌ったものである。陸佃は、鳧を安楽の象徴とし、その場所が、、沙、渚、と変わるにつれ、祭られている者も、祖、孝、神、祇と変わっているとしている。

 カモメは海の鳥というイメージだが、『詩経』に書かれているとおり、ほとんどのカモメ類が河川、湖沼でも生活する。

 「名を以て自ら呼ぶ」とは、鳴き声から名づけられたことを言っている。の音はエイ(古音は・er)。ユリカモメは「ha,ha,ha,ha」と鳴くことから、中国では笑鴎とも呼ばれている(『中国動物図譜』)。このほかにオオセグロカモメの「ウークォークォークォークォー」というトランペットコールや、「カッカッカッ」という警戒声がある。鳴き声に関しては、ウミネコの「ミュウミュウ」と猫のような求愛コールが有名である(『日本動物大百科』)(吉野)

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