【鷂雉】

釈鳥に云ふ、江淮より南、青質にして、五采皆備はり、章を成すを鷂(@)と曰ふ()。王后の六服()、一に曰く、翬翟。画くに翬雉を以てす。二に曰く、揄翟。画くに揄雉を以てす。三に曰く、闕翟。絵に刻して、之を為り、闕して画かざるを言ふなり()。闕して画かざれば則ち其の制は二翟に屈す。故に一名屈狄なり。喪大記に曰く、「復するに、夫人は屈狄を以てし、世婦は襢衣を以てす」()と。襢も亦信なり。闕狄、一に屈狄と曰ふ。展衣、一に襢衣と曰ふ。其の義は一なり。翬は素質、揄は青質。青質は仁なり。素質は義なり。五采を備ふるは礼なり。地道は義を尚ぶ。故に后妃の徳、義以て質と為し、之を文るに礼を以てす。或いは曰く、闕翟は飾るに闕雉を以てす。天子の五門、一に雉門と曰ふ。雉門は雉を画きて、闕を象る。屈狄は此の雉を以て之を飾る。故に闕翟と曰ふ。毛詩伝に曰く、「象服は尊者、飾りを為す所以なり」()と。蓋し褘衣なり。褘衣は雉を画く。故に象服と曰ふ。又曰く、「揄狄、闕翟は羽飾の衣なり」()と。而して『説文』、褘を解し、亦曰く、「袍に画く」()と。其の褘翟を釈して、又、以て「翟、羽飾の衣なり」()と謂ふ(A)。則ち褘衣は翟を画き、褕翟、闕翟は、皆翟羽、之を飾る。周官、二翟を翟と曰ふ()。而して襢衣、翟を変へ衣と曰ふは、之を以ての故なり。葛覃の詩に曰く、「薄か我が私を汙(B)ひ、薄か我が衣を澣ふ。曷か澣ひ曷か否せざらん。寧くんぞ父母に帰せん」(10)と。詩伝に、又以為へらく「婦人に副褘、盛飾有り、以て舅姑に朝事す。宗廟に接見し、君子に(C)進見す。其の余は則ち私なり」(11)、「私服宜しく(D)澣ふべく、公服宜しく否せざるべし」(12)と。蓋し公服とは褘を謂ふのみ。画くを以ての故に宜しく否せざるべし。則ち二翟は羽(E)を以て之を飾る。澣ふと雖も可なり。且つ夫は{-口+ム}冕を服し、則ち婦は副褘を服す(13)。而して{-口+ム}の制字、公に从ひ衣に从ふ。則ち公服を褘と謂ふ。理は宜しく然るべし。然らば則ち薄か我が私を汙(F)ひ、薄か我が衣を澣ふは、相備ふるのみ。故に或いは私と言ひ、或いは衣と言ふなり。

 

[校紀]

(@)五雅本、繇に作る。(A)五雅本、叢書本、為に作る。(B)五雅本、叢書本、汚に作る。(C)五雅本、於に作る。(D)叢書本、以に作る。(E)叢書本、毛に作る。(F)叢書本、汚に作る。

 

[注釈]

()『爾雅』釈鳥。

()『周礼』天官・内司服に、「王后の六服、褘衣、揄狄、闕狄、鞠衣、展衣、縁衣」とある。

()『周礼』天官・内司服の鄭玄注に「絵に刻して之が形を為し、之を采画す。衣を綴りて以て文章を為す。褘衣は翟を画く者なり。揄翟は揺を画く者なり。闕翟は刻して画かず」とある。鷂と揄は音が同じであり、通じている。

()『礼記』喪大記に「復する者は朝服なり。君は巻を以てし、夫人は屈狄を以てし、大夫は玄頳を以てし、世婦は襢衣を以てし、士は爵弁を以てし、士妻は税衣を以てす」とある。

()『詩経』鄘風・君子偕老の毛伝。

()『詩経』鄘風・君子偕老の毛伝。

()『説文解字』第八篇・褘に「王后の服、褘衣は袍に画くを謂ふ」とある。

()『説文解字』第八篇・褕に「褕翟は羽飾の衣なり」とある。

()『周礼』天官・内司服に、「王后の六服、褘衣、揄狄、闕狄、鞠衣、展衣、縁衣」とあり、六服中、二つだけが狄(翟に通ず)と言うことを指していると考えられる。

(10)『詩経』周南・葛覃。曷、害に作る。

(11)『詩経』周南・葛覃の毛伝。

(12)『詩経』周南・葛覃の毛伝。

(13)『禮記』明堂位に「君は卷({-口+ム}に通ず)冕にて阼に立ち、夫人は副褘にて房中に立つ」とある。

 

[考察]

 『爾雅』釋鳥には、「伊洛より南、素質にして五采皆備はり、章を為すを翬と曰ふ」とあり、「江淮より南、……鷂と曰ふ」と続く。翬、鷂がどんな鳥であるかについて、詳しくは不明。この記述によると、翬は白を基調とした五色の羽で彩られ、鷂は青を基調として五色の羽で彩られていると考えられる。

 翬は『漢語大詞典』によると、五彩の山雉、『大漢和辭典』には五色そろった雉、『漢語大字典』では、五彩をそろえた雉類、錦鶏とある。翬についての『爾雅』の記載は『詩経』小雅・斯干の鄭玄箋を引用したもののようである。また潘岳『射雉賦』に「五色有る、之を翬と名づく」とある。

 鷂は『漢語大詞典』によると、青質の五彩の野鶏、『大漢和辭典』には五色の雉、『漢語大字典』では野鶏の一種とある。何れも『爾雅』の記載が根拠となっている。

 翬は、主に四川から雲南の山地に生息する白腹錦鶏(学名Chrysolophus amherstiae、別名銅鶏・衾鶏・笋鶏・筍鶏など。和名ギンケイ)ではないかと考える。その名のとおりの白い羽毛が腹部を覆っており、その鮮やかな彩りは、雉類の中でも一、二の美しさとされており、白い体が五色に彩られているという条件にあてはまる。頭上、喉、首は金属性の光沢をもつ緑や藍といった色彩で、後頭には赤紫の冠毛があり、後頭から首の部分には銀白色に黒く縁どりしたような羽がはえている。肩部は青緑色、翼は大部分が黒褐色、腰部は黄色で尾に近付くにつれ赤く変わる。尾羽は白の地に黒の斑紋となっている。翬について、『漢語大字典』には錦鶏とあるが、普通に錦鶏といえば、紅腹錦鶏(金鶏)を指す。こちらも美しく、頭部には黄金色の長毛があり、青、緑などの色彩を持つ。しかし、赤い羽が体の大部分を覆っており、翬、鷂とは別物であろう。

 鷂の方は、翬のように固有種として、それらしき種を見つけだすことはできなかったが、雉鶏(学名Phasianus colchicus、和名キジ)の亜種ではないだろうか。現在、大陸に住む雉は(亜種を含め)、そのすべてが胸部から腹部のほとんどを褐色系の羽毛に覆われているが、これに対し日本に住む種は、暗緑色の羽毛が胸部、腹部を覆っている(このため日本の固有種と見る者もいる)。この日本種のような色彩の雉が、古くは中国のある地域に生息し、これを鷂としていたとは考えられないだろうか。この亜種という考え方で行けば、翬も白い羽毛部分の多い種であったのかもしれない。いずれにしても現在、中国で見られるものより、色鮮やかな雉であったに違いないであろう。

 ここでは王后の六服について、特に褘衣(翬翟)、揄翟、闕翟について述べられており、この三つを三翟と言った。この三つがどのような物であったかを陸佃は考察している。 (吉野)

 

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