『毛詩草木鳥獣虫魚疏』−−詩経名物学の祖           

加納喜光           (月刊しにか1996.12 )

 かつて『詩経』を翻訳したことがある。詩のテ−マをつかむための基礎的作業として、古代語の研究が必須であることは言うまでもないとして、中でも博物語彙の把握がいかに重要であるかを知った。というのは、『詩経』の詩に詠みこまれている動植物が、単なる叙景の添え物ではなく、シンボルとして、イメ−ジとして、詩のテ−マと密接な関わりをもつからである。

 例を挙げよう。国風・召南の鵲巣篇に、「維れ鵲に巣有り/維れ鳩之に居る」と歌われている「鳩」はハトだろうか。ハトならばいかにも結婚の祝福にふさわしい詩といえる。しかし毛伝によると 鳩、つまりカッコウなのである。そうすると、この詩ははたして祝婚歌(これが通説)だろうかという疑問が湧く。なぜなら「カッコウがカササギの巣を横取りする」という文句は祝福にふさわしくないからである。そこで筆者はこの詩を風刺詩と見た。自然界の自由きままな在り方(カッコウが他の鳥の巣に托卵する習性を踏まえる)と、人間界の仰々しい儀式(車百台の婚資を必要とする嫁取り)とを平行することによって、後者を風刺したと解したのである(『詩経』上、学習研究社)。筆者の解釈が絶対に正しいというつもりはないが、博物語彙の意味の取り方が詩の解釈を左右しうるという一例である。

 『詩経』の成立は大変古い。漢代、五経博士が置かれると、それぞれの古典に言葉の注釈が必要となった。当時の人たちにも、古代語、特に博物語彙は難解となっていた。例えば、『詩経』の注釈である毛伝に、「〓は鯉なり」(衛風・碩人の注)とするが、全くの間違いである。『爾雅』や『説文解字』も鯉に同じとした。 に正しい意味を初めて記述したのは標記の『毛詩草木鳥獣虫魚疏』であった。

 毛詩は漢代に現れた『詩経』の四つのテキストの一つで、魯の毛亨が伝えたとされる。古文(戦国期の通行の書体)で書かれていたので「古文詩」と称される。他の三家詩は今文(漢代の隷書)で書かれていたので「今文詩」と称される。後漢の鄭玄が毛詩(毛亨による注釈「毛伝」を伴う)に更に詳しい注(「鄭箋」という)をつけてから、毛詩が他のテキストを圧倒し、三家詩は次第に姿を消していって、現在は毛詩のみが残っている。三国時代、毛詩の中の動植物に関する語彙だけを選んで解説を施したのが『毛詩草木鳥獣虫魚疏』(以下、『詩疏』と略称)である。

 著者は三国時代の呉の陸 だといわれる。陸〓については、字が元恪で、呉の太子中庶子や烏程令を勤めたことがあるということしか分かっていない。『「詩疏」広要』を作った明の毛晋に至っては、陸 は唐の人だと断定している。しかし現在のテキストの鶴の条に「今の呉の人の園囿中及び士大夫の家、皆之を養う」とか、椒の条に「蜀の人は荼と作し、呉の人は茗と作す」とあることや、また、〓の条で「魏博士済陰の周元明」説の引用などを見ると、三国と同時代の息遣いを感じさせる。

 現在のテキストについても説が分岐している。『陸〓疏考証』を作った清の焦循によると、後人が綴拾した本だという。『詩疏』は『斉民要術』(後魏、賈思〓撰)、『毛詩注疏』(唐、孔穎達撰)、『初学記』、『太平御覧』などに引用されている。これに対し、清の丁晏は、その名が『隋書』経籍志と『唐書』芸文志に著録されている陸〓の原本に相違ないという。丁晏の校正による『詩疏』上下二巻本が『古経解彙函』に入っている(『叢書集成初編』にも収録)。

 陸〓が選んだ動植物の語彙は、草五一語、木四一語、鳥二二語、獣九語、魚一一語、虫一八語、併せて一五一語で、『詩経』全体の動植物語の約半数である。先の〓の解説を見てみよう。

  〓は江海に出づ。三月中、河の下頭従り来り上る。〓の身形は竜に似、鋭頭。口は頷下に在り。背上腹下、皆甲有り。縦広四五尺。今、盟津の東、石磧の上に於いて、釣りて之を取る。大なる者千余斤。蒸して と為すべし。又、酢と為すべし。魚子は醤〓と為すべし。

 この魚の溯河性、頭と口の形状、背と腹の骨板、途方もない重量などの特徴は鯉とは似ても似つかない。むしろチョウザメの特徴と合う。魚子の醤はいわゆるキャビアであろう。この文章を引用している『毛詩注疏』は『爾雅』郭璞注も参考にして毛伝の誤りを認めている。陸〓の情報源は実は後漢の高誘の『淮南子』注と思われるが、『詩経』の博物語の誤解を最初に解いた功績は認めないわけにはいかない。

 『詩経』には三百余りの動植物語が用いられている。これに初めて注目したのは孔子である。『論語』に孔子のこんな言葉が出ている。「小子よ。何ぞかの詩を学ばざる。詩は以て興すべく、以て観るべく、以て群すべく、以て怨むべし。之を邇くしては父に事え、之を遠くしては君に事う。多く鳥獣草木の名を識る」(陽貨篇)。孔子は詩を学ぶ効用の一つとして博物語の知識が多く得られることを挙げた。博物的な学問を「多識の学」というのはここに始まる。それは物と名との関係を通時的、共時的に研究するので名物学とも称される。『詩経』の名物学の最初の金字塔が『詩疏』であった。

 『詩疏』は、ある詩に用いられた動物や植物が、その詩のテ−マとどう関わるのか、比喩あるいは象徴は何かなどについては関心を払わないように見える。これは後世の『 雅』(宋、陸佃撰)や『詩伝名物集覧』(清、陳大章撰)などとは違う態度である。純粋にその物が何であるかを追求しようとする。もちろん現在の生物学とは趣を異にし、言語的、文化的、民俗的等々の情報が雑然と混じり合っているというのが実情である。具体的な語釈の体例をいくつか見ることにしたい。

 ・同定の問題

 女蘿(小雅・ 弁)の毛伝では菟糸(ネナシカズラ)と同じとするが、陸 は「菟糸は草上に蔓連して生ず。黄赤金の如し。(…)松蘿は自ら松上に蔓して生ず。枝は正青。菟糸と殊異なり」と述べ、松蘿(サルオガセ)に同じとする。

 ・古今の語

 古代語に現代(三国時代)の名称を与える。例えば、 楚(檜風・隰有〓楚)に「今の羊桃是なり」、 (小雅・魚麗)に「今の黄頬魚なり」と記す。

 ・通語と方言

 莫(魏風・汾沮洳)の条では、酸迷が五方の通語であり、冀州では乾絳、河汾では莫と称するという。因に現在の酸模(スイバ)のことである。

 ・異名と命名の由来

 〓(周南・ 〓)の異名について、「喜んで牛跡の中に在りて生ず。故に車前、当道と曰うなり」とある。また、鮪(衛風・碩人)は と同様チョウザメの一種だが、「今、東莱・遼東の人、之を尉魚と謂い、或いは仲明魚と謂う。仲明は楽浪の尉なり。海中に溺死し、化して此の魚と為る」という伝説を紹介している。

 ・象徴の記述

 象徴についてわずかながら記述がある。 蛸( 風・東山)の条に、「河内の人、之を喜母と謂う。此の虫来たりて人衣に著すれば、嘗て親客至る有りて喜び有るなり」と記す。後世、吉祥図によく使われるアシナガグモの象徴の濫觴である。また、蜩(大雅・蕩)の条では「文清廉倹信」の五徳があるという。これも後世有名になる蝉の象徴である。

 ・用途の記述

 その物が人間にとって何の役に立つかという興味は中国の博物学ではつきものである。現代でも「経済植物志」のように「経済」がついた博物誌が多い。これは本草の伝統が脈々と底流にあることを物語る。『詩疏』でも用途の記述が極めて多い。中でも食べることに関しては、食べられるか食べられないか、どういう食べ方がよいかなどを記している。例えば、〓〓(オオバコ)、巻耳(オナモミ)、 蘭(ガガイモ)などは「茹」(蔬菜)にする。菲(ダイコン)、薇(スズメノエンドウ)、匏(フクベ)などは「羹」(あつもの)にする。蒲(ガマ)の芽、茆(ジュンサイ)、苹(カタバミモ)などは生食する。 (ヤクシソウ?)は「西河・雁門の〓は尤も美なり。胡人之を恋いて塞を出でず」というほどの珍味だったらしい。〓(フクロウ)も珍味のようで、「漢御物に供するに各其の時に随う。唯〓のみ冬夏常に之を施す。其の美を以ての故なり」とある。

 薬効についての記述もある。荷(ハス)の実は「身を軽くし気を益し、人をして強健ならしむ」という。これは本草の影響であろう。〓の条には「婦人の難産を治す」とある。これは毛伝の「懐妊に宜し」から出たものだろうが、本草にはこんな薬効は見当たらない。〓・生態の観察

 鸛(コウノトリ)についてこんな記述がある。「樹上に巣を作る。大なること車輪の如し。卵は三升の杯の如し。人を望見すれば、其の子を按じて伏さしめ、径ちに舎て去る。(…)又、其の一傍に泥して池を為り、水を含みて之に満たし、魚を取りて池中に置く。稍々以て其の雛に食らわしむ。若し其の子を殺せば一村旱災を致す」。特徴ある子育ての観察記録らしい。

 ・俚言の記録

 動植物にまつわる当時の諺・慣用句をしばしば引用している。例えば、「居ながら糧に就くは、梁水の魴」という諺は、梁水で魴(トガリヒラウオ)がたくさん獲れ、しかも美味であったことを示している。「魚を網して を得るは、茹を啗らうに如かず」は (シタメ)がいかに不美な魚とされたかがわかる。

 毛詩名物学のその後の展開について一瞥すると、中国では『毛詩名物解』(北宋、蔡卞撰)、『詩集伝名物鈔』(元、許謙撰)、『六家詩名物疏』(明、馮応京撰)、『詩経稗疏』(清、王夫之撰)、『詩識名解』(清、姚炳撰)、『毛詩名物図説』(清、徐鼎撰)など、日本では『詩疏』を解説した『陸氏草木鳥獣虫魚疏図解』(淵在寛述)、『詩経小識』(稲生若水撰)、『詩経名物弁解』(江村如圭撰)、『毛詩品物図攷』(岡元鳳撰)、『詩経名物集成』(茅原定撰)などがある。しかしめぼしい成果がないまま、近代になって名物学は消滅してしまった。今後の『詩経』研究ばかりでなく、中国博物学史研究のためにも、現代の生物学の成果を取り入れた名物学の復活が望まれる。
 

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